088_キリストはいのちのパン?
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。
6:42 彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」
6:43 イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。
6:44 わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。
6:45 預言者たちの書に、『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとに来ます。
6:46 父を見た者はだれもいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。
6:47 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。
6:48 わたしはいのちのパンです。
6:49 あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。
6:50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。
6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
6:52 それで、ユダヤ人たちは、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と互いに激しい議論を始めた。
6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
6:58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
6:59 これが、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。
ここしばらく、人々とイエス・キリストの長い対話が続いています。特に前回は、比ゆを使った、キリストの爆弾発言が相次ぎました。それはこんな言葉でした。
イエス・キリストの爆弾発言
【ヨハネの福音書6:32~33】
「わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
そして、
【ヨハネの福音書6:35】
「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
更に、
【ヨハネの福音書6:40】
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
今日はこうした言葉をめぐって、人々が騒ぎ出すところから追いかけます。
不満を募らせる人々
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」
人々が陰口を叩き始めました。彼らにとっては、イエスは地元の出身で、家族も顔見知りだったのですね。なので、イエス・キリストが「天から下ってきた」なんて、とても信じられません。でも実は、彼らが見逃していたことがありました。それは、イエス・キリストがヨセフの子ではなくて、当時処女だった母マリアに、聖霊なる神の力が働いて生まれた、という事実です。
これについては、今日は詳しくは触れませんが、キリスト教がキリスト教たり得るのは、イエス・キリストが、人であるマリアから、聖霊と呼ばれる神の働きによって生まれた、という、人知を超えた信じがたい事実があるからにほかなりません。なので、イエス・キリストとは何者かと問われたら、マリアから生まれた完全なる人であると共に、聖霊の働きによって天から下ってきた、完全なる神であると言い切れるのです。もう一度言います。イエス・キリストは完全なる人であり、そして、完全なる神なのです。
でも、地元の人たちにしてみれば、イエスが「天から下って来た」神だなんて、思いもよりません。そこで文句が出始めたのですね。なので、
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:43 イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。
こう戒めた上で、私たち人間には決して知りえない、神の領域について明かし始めます。
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:44 わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。預言者たちの書に、『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとに来ます。父を見た者はだれもいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。
少し難しい話がはじまりました。まず、ここで出て来る「父」とは、マリアの夫ヨセフではなく、天の父なる神のことです。なので、天の神がイエス・キリストのもとに引き寄せた人、言い換えれば、イエス・キリストを知って、救い主と信じた人を、「終わりの日」と呼ばれる、この世界が終わるときによみがえらせる、と言っているのです。
ということは、今、この話を聞いてくださっているあなたも、天の神に引き寄せられて、イエス・キリストを信じる機会が与えられているのにほかなりません。そこであなたが、イエス・キリストを救い主と信じるなら、キリストはあなたに「永遠のいのち」を与え、「終わりの日」によみがえらせて下さる、というわけです。これが、キリストがここで言わんとしている本質です。このことを押さえておくと、キリストがご自分を食べ物になぞらえた、次の話の意味もわかってきます。では読んでみましょう。
いのちのパン
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:47 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
イエス・キリストが、ご自分を「いのちのパン」だと言っていますね。このパンは、父なる神がいる天から下ってきて、信じる者に「永遠のいのち」を与えるので、キリストというパンを食べた人、言い換えれば、キリストを信じた人は、永遠に生き続けるようになる、というわけです。
でも、人間はいつかは死ぬので、私たちが肉体的な死を免れると言っているのではありません。そうではなくて、イエス・キリストを信じるなら、たとえ肉体が滅んでも、霊的な意味では滅びを免れ、神と共に生き続けるようになると教えているわけです。
ただし、イエス・キリストを神だと認められなければ、この意味はさっぱりわかりません。なのでキリストが、「わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」と言ったら、人々が一様に騒ぎだしました。
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:52 それで、ユダヤ人たちは、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と互いに激しい議論を始めた。イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。
キリストが「わたしが与えるパンは」「わたしの肉です」と言ったら、人々はそのまま、キリストの肉を食べることだと思ったのですね。残念ながら、彼らはこの後も、キリストが比ゆで語っていることを理解することが出来ません。では続きです。
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:53 人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」とは、生々しいですね。当然ながら、普通に聞けば、こんな話、全く理解できません。そして今日の結論をキリストが語ります。
【ヨハネの福音書6:41~59】
6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」これが、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。
ここで注目すべきは、「わたしを食べる者も、わたしによって生きる」という言葉です。この言葉、イエス・キリストが極めて大事な真理を教えているのですが、字面どおり受け取ってしまったら、これほどおどろおどろしい話はありません。では、先程の「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」とか、「わたしを食べる」ということが何を意味するのか、簡単に紐解いて終わりにします。
肉を食べ、血を飲むとは?
結論を言えば、キリストが、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」とか、「わたしを食べる」と言っているのは、イエス・キリストを救い主と信じて受け入れることにほかなりません。なので、本当にキリストの血を飲んだり肉を食べたりすることではありません。ではなぜキリストは、こんな生々しい比ゆを用いたのでしょう。
それは、この後キリストが、私たち人間を救うために十字架に架かり、キリストの肉が裂けて、血が流されるからです。すなわち、イエス・キリストが私たち全人類の罪の身代わりとなって死ぬという、父なる神が計画した裁きが、キリストの上に降りかかるのです。なので、ここで出て来る「肉」や「血」とは、キリストが受けた、裁きの象徴なのです。
そしてその裁きは、本来なら、「終わりの日」と呼ばれる裁きの日に、私たちが受けるべき「罪の裁き」にほかなりません。なぜなら、どこまでも聖い神の目線から見れば、私たち人類は、誰一人として、神の前に「罪がない」と言える人はいないからです。
けれども神は、私たち人間を愛するがゆえに、私たちが裁かれて滅ぶことを決して望んではおられません。そこで、私たちに代わって罪の裁きを受けるためにこの世に来たのが、イエス・キリストです。そしてそれが現実になったのが、キリストの肉が裂け、血が流れる、十字架刑の執行です。
この事実がわかると、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」とはどういう意味か、明らかになりますね。それは、十字架上で肉を裂かれ、血を流して死なれたイエス・キリストこそ、私の罪を贖われた救い主だと、信じることにほかなりません。
なので、キリストが天から下ってきた当時から現代に至るまで、私たちが救われて「永遠のいのち」を得る秘訣とは、このイエス・キリストを救い主と信じること、これに尽きるのです。それを示す言葉をもう一度ご紹介します。
【ヨハネの福音書6:40】
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
ここで出て来る「子」とは、子なる神、イエス・キリストのことです。そこであなたも、あなたの罪を贖うために、肉を裂かれ、血を流されたイエス・キリストを救い主と信じて、「永遠のいのち」をいただこうではありませんか。
(2025.11.15)
