【キリストの足跡をたどる】089_永遠のいのちを得るには?

089_永遠のいのちを得るには?

【聖書】ヨハネの福音書6:60~71 
●理解できない「ひどい話」 
●父が与えてくださった人々 
●永遠のいのちをいただこう 

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:60 これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」
6:61 しかしイエスは、弟子たちがこの話について、小声で文句を言っているのを知って、彼らに言われた。「わたしの話があなたがたをつまずかせるのか。
6:62 それなら、人の子がかつていたところに上るのを見たら、どうなるのか。
6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。
6:64 けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。」信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。
6:65 そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」
6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。
6:67 それで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいのですか」と言われた。
6:68 すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。
6:69 私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています。」
6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかし、あなたがたのうちの一人は悪魔です。」
6:71 イエスはイスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二人の一人であったが、イエスを裏切ろうとしていた。

前回まで、イエス・キリストと人々との長い対話が続いていました。発端は、キリストが5つのパンと2匹の魚をもって大群衆を満腹させるという奇跡を起こしたことでした。その結果、イエス・キリストは大人気になりましたが、追いかけてきた人たちとの、その後の対話が、全くかみ合いません。なぜなら、キリストは食べ物を用いて、見えない真理を明かしたのに、人々は見えるものに捕らわれて、キリストが伝えようとしていた真理が見えなかったからでした。そこで今日は、彼らがキリストを見限るシーンを紐解きます。

理解できない「ひどい話」

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:60 これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」

人々がキリストの話を聞いて、「これはひどい話だ」と言っています。それに、集まっていた人々とは、キリストの「弟子たち」だったのですね。では一体、なにを「ひどい」と感じたのでしょう。そこで、キリストが語っていたことを簡単におさらいします。まずは、

【ヨハネの福音書6:48】
わたしはいのちのパンです。

という言葉です。このとおり、キリストは、ご自分をパンにたとえて話を展開しました。そしてその内実を説明したのが、

【ヨハネの福音書6:51】
わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。

という言葉です。ここでは、キリストを信じることが「パンを食べる」ことになぞらえられています。ということは、「天の父なる神のもとから下って来たキリストを信じる人は誰でも、永遠のいのちが与えられる」と言っているのですね。繰り返します。天から下ってきたキリストを信じるなら、永遠のいのちが与えられる、というわけです。

でも人々は、見えるパンに捕らわれているので、キリストが伝えたい本質を理解出来ません。そこに降って来たのが、次のこの言葉でした。

【ヨハネの福音書6:56】
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。

この言葉について、人々は文字通り、キリストの「肉を食べ」「血を飲む」話だと受け取ったのですね。それで、「これはひどい話だ」と騒ぎ出したわけです。

でも、キリストが食べ物を使って真理を教えているとわかれば、これらの教えは、飲み食いのことではなく、キリストを信じて受け入れることだとわかります。そうすれば、その人はキリストのうちにとどまり、キリストもまた、その人のうちにとどまる、というわけです。となるとこれは、大変な祝福と恵みに満ちた言葉だったのですね。そこで続きです。

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:61 しかしイエスは、弟子たちがこの話について、小声で文句を言っているのを知って、彼らに言われた。「わたしの話があなたがたをつまずかせるのか。それなら、人の子がかつていたところに上るのを見たら、どうなるのか。

「人の子がかつていたところに上る」と言っています。ここで出て来る「人の子」とは、キリストのことです。なのでこの言葉は、キリストが天から下ってきたことを前提に、いずれキリストが、人々の前で天に上っていくことを予告しているわけです。そして事実、キリストが十字架に架かって死んで葬られ、よみがえった後、キリストは本当に、人々の前で、天に上っていかれるのです。その場面は、新約聖書の『使徒の働き(使徒言行録)』に記録されています。

でも、私の言葉を信じられないなら、私が天に上るのを見ても、あなたがたは信じるだろうか、とキリストは言いたいのですね。そしてこう続けます。

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。」信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。

キリストが結論となる言葉を発しました。「いのちを与えるのは御霊で」「肉は何の益ももたらしません」と言っていますね。ここで出て来る「御霊」とは、簡単に言えば、神の霊のこと、言い換えれば、父と子と聖霊という「三位一体」と呼ばれる聖書の神のうちの、聖霊なる神の働きのことです。

一方で、「肉」とは、私たちがまとっている肉体のこと、ひいては、見えない神の霊と対比される、目に見えるこの世のことを意味します。なのでここでは、人に永遠のいのちを与えるのは神の霊によるのであって、この世のものは、永遠のいのちを得る上では、何の役にも立たない、と言っているわけです。もう一度言います。永遠のいのちは、神の霊によって与えられるもので、この世のものによっては得られない、というのです。

この言葉からわかるとおり、これまでキリストが話してきたことは全て、神の霊や、神が与える永遠のいのちに関することで、この世の食べ物のことではありませんでした。だから、目に見えるこの世のものに捕らわれていた人々は、目に見えない神の領域に関するキリストの話を、全く理解できなかったのです。なのでこのことが、「信じない者たち」「裏切る者」を分かつ分水嶺になりました。

父が与えてくださった人々

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:65 そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。

ここで、弟子と思われた多くの人々が、キリストのもとから去っていきました。結果、天の父なる神がキリストに与えてくださった人たちだけが、その場に残ったのでした。

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:67 それで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいのですか」と言われた。すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています。」

結局、キリストのもとに残ったのは、使徒として任命した12人だけだったのですね。彼らはずっと、キリストの言葉や奇跡を見聞きしてきた人たちでした、そして最後のセンテンスです。

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかし、あなたがたのうちの一人は悪魔です。」イエスはイスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二人の一人であったが、イエスを裏切ろうとしていた。

残念ながら、残った中にも、キリストを見限ろうとしていた人がいました。それがイスカリオテのユダという人物です。この人が後に、銀貨30枚でキリストを売り渡し、キリストが十字架に架かる引き金を引いてしまうのです。では今日の結論です。

永遠のいのちをいただこう

今日は、これまで延々と続いてきた、イエス・キリストと人々との、対話の結末を紐解きました。そしてキリストが語った結論が、

【ヨハネの福音書6:60~71】
6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。

という言葉です。すなわち、人に永遠のいのちを与えるのは、見えない神の霊によるのであって、目に見えるこの世のものは、永遠のいのちを得る上では、何の役にも立たない、というわけです。

でも私たちにしてみれば、見えないことは、神から教えられなければ知る由もありません。そこで、見えない真理を告げ知らせ、私たちに永遠のいのちを与えるために下ってきたのが、イエス・キリストです。

そしてこれまでの対話をとおして、イエス・キリストを救い主と信じるなら、永遠のいのちを得られることが明かされました。それを表わしていたのが、この言葉です。

【ヨハネの福音書6:51】
わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。

「わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」と言っていますね。これは、世の人々に永遠のいのちを与えるために、キリストが私たちの代わりにいのちを差し出して、十字架上でその肉体が裂かれることを前提とした言葉です。そして文字どおり、キリストが十字架刑による裁きを受けて、肉を裂かれ、血が流されたことで、私たち人間の罪を贖う、という目的が達成されたのでした。それによって、

【ヨハネの福音書6:56】
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。

と語ったキリストの言葉の、本当の意味が明らかとなりました。すなわち、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」という言葉は、決して飲み食いのことではなく、キリストの肉が裂かれ、血が流されたことこそ、私たちの罪を贖うためだったと信じることだ、というわけです。そして信じるなら、私たちがキリストの救いにあずかり、キリストも私たちのうちに留まって、永遠のいのちが与えられるのです。これが、イエス・キリストのもたらした救いの本質です。

そこで今日、あなたも是非、このイエス・キリストを救い主と信じて、永遠のいのちをいただこうではありませんか。

(2025.11.30)

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