【キリストの足跡をたどる】104_キリストは死んでよみがえる?

104_キリストは死んでよみがえる?

【マタイの福音書17:22~23】
17:22 彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは言われた。「人の子は、人々の手に渡されようとしています。
17:23 人の子は彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると彼らはたいへん悲しんだ。

【聖書】マタイの福音書17:22~23 
●二度目の受難の予告 
●弟子たちに「隠されていた」 
●キリストの予告の成就 

今日は、イエス・キリストが病に苦しむ子供を癒した後に、弟子たちに語った、受難の予告を紐解きます。

二度目の受難の予告

【マタイの福音書17:22~23】
17:22 彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは言われた。「人の子は、人々の手に渡されようとしています。人の子は彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると彼らはたいへん悲しんだ。

今日の聖書箇所はこれだけです。読んでわかるとおり、ここで、自分のことを「人の子」と呼んでいる、イエス・キリストは、これから人々の手に渡されて、殺され、三日目によみがえると予告していますね。

実はこの予告は、今回が初めてではありません。しばらく前にも同じことを言っていて、その時には、弟子のペテロが「とんでもない」「そんなことがあなたに起こるはずがありません」といさめたのですね。すると逆に、「下がれ、サタン」「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と、キリストがペテロをたしなめたのでした。このやり取りから、キリストは、人間の思いに優る、神の計画に従うことを、弟子たちに教えたのでした。

そして再び、キリストが同じことを告げたのが、今日の聖書箇所です。今回は、以前のやり取りが記憶に新しいのか、誰も、何も、キリストに言葉を返した記録はありません。ただ、「彼らはたいへん悲しんだ」とあるので、弟子たちの心中は決して穏やかではなかったのですね。

確かに弟子たちにとっては、キリストの言うことが、どうにも解せなかったのでしょう。何しろ、イエス・キリストは「生ける神の子、救い主」なのだから、ローマ帝国の圧政に苦しむ民衆を救い出し、神の国を打ち立て、王として君臨するのが、彼らの期待していたシナリオでした。

それなのに、そのキリストが殺されるなんて言われたら、心穏やかなはずがありません。そして特に彼らを混乱させていたのが、キリストが死んでから、「三日目によみがえる」ということでした。ちなみにこのエピソードは、マタイのほかに、マルコやルカも書いていて、ルカは、弟子たちの心境を、こう綴っています。

弟子たちに「隠されていた」

【ルカの福音書9:45】
しかし、弟子たちには、このことばが理解できなかった。彼らには分からないように、彼らから隠されていたのであった。彼らは、このことばについてイエスに尋ねるのを恐れていた。

やはり弟子たちは、キリストの言うことが「理解できなかった」のですね。更には、以前のペテロとのやり取りや、あまりに唐突な内容も手伝ってか、尋ねることさえ「恐れていた」とあります。そして注目したいのが、キリストの予告について、「彼らには分からないように、彼らから隠されていたのであった」という記録です。

ということは、弟子たちがキリストの言葉を「理解できなかった」のは、神の主権によって、「神が弟子たちを分からなくさせていた」といったふうに読み取れますね。ではなぜキリストは、弟子たちが理解できないことを告げたのでしょう。

それは、この予告がことごとく実現し、弟子たちが神の計画の全貌を悟った時、その信仰を揺るがぬものとするためだったのではないでしょうか。そこでこれから、とりわけキリストのよみがえりの予告が、後の人々にどのような影響を与えたのか、順を追ってご紹介したいと思います。

キリストの予告の成就

まずは、イエス・キリストを救い主とは認めていなかった、当時の宗教指導者たちが、キリストが死んで葬られた後に話していた記録です。それによれば、彼らは、十字架に架けて殺したはずのキリストが、本当に三日目によみがえるのを恐れていたとわかるのです。こうあります。

<宗教指導者たちの恐れ>

【マタイの福音書27:62~64】
明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の惑わしよりもひどいものとなります。」

このように、彼らはキリストのよみがえりが実現するのを恐れて、墓を見張るよう提案し、そこに番兵がつけられたのでした。にもかかわらず、キリストは予告どおり、三日目によみがえり、墓は空になりました。そこで、墓を見に来た女性たちの前に、天からの使いが現れ、キリストのよみがえりを告げたシーンが、次のくだりです。

<御使いの告げ知らせ>

【マタイの福音書28:5~7】
御使いは女たちに行った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。

このとおり、墓には番兵までついていたにもかかわらず、キリストは予告どおりによみがえりました。そしてこうしたことも、実は旧約聖書の随所で予告されていたことを、よみがえったキリストが、弟子たちに教えたのが、以下のくだりです。

<よみがえったキリスト>

【ルカの福音書24:44~48】
そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります。

ここで出てくる、「モーセの律法と預言者たちの書と詩篇」とは、旧約聖書全体を指しています。なので、旧約聖書に書かれた、救い主であるイエス・キリストに関する予告は、すべて実現しなければならないというのです。

ただし、『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる』という言葉は、旧約聖書にそのまま出てくるわけではありません。でも、キリストが成し遂げたことを振り返れば、聖書の随所で示されていた、救い主に関する予告が、この言葉のように成就したことがわかる、というわけです。

そして最後に、「エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります」と言っていますね。これもまた、後の弟子たちについて予告した言葉となりました。すなわち、以前は「キリストが死んでよみがえる」ことが理解できず、悲しむしかなかった弟子たちが、これからは、よみがえったキリストの証人となって、エルサレムから宣教を始めるというわけです。

事実、この後キリストが生きたまま天に上げられ、聖霊と呼ばれる神の力が弟子たちに降臨すると、彼らは雄弁にキリストの福音を語り出したのでした。そのいきさつは、新約聖書の『使徒の働き(使徒言行録)』に詳しく記されています。ではその中から、弟子のペテロが、エルサレムの神殿域で、イエスが本当にキリスト、救い主であったことを、群衆に知らせた上で、そのよみがえりについて語った部分をご紹介します。

<ペテロの証し>

【使徒の働き2:23~24】
神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえなかったからです。

ここでペテロは、父なる神の主権によって、その計画どおりに囚われの身となったキリストを、ユダヤ人たちが、ローマ帝国の十字架刑によって、殺してしまったと語っていますね。でも神は、このキリストを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのでした。そしてペテロは、このよみがえりも、旧約聖書で予告されていたのだと解き明かしたうえで、人々にこう宣言します。

【使徒の働き2:32】
このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

このように、ペテロをはじめとする弟子たちは、キリストの予告どおり、そのよみがえりの証人となったのでした。その結果、イエス・キリストがもたらした救いの良い知らせ、福音が、今こうして、私たちに届いているのです。すなわち、キリストのよみがえりは、それを信じる私たちが、罪の裁きによる死の滅びを免れ、キリストと同じように、永遠に生き続けることの保証となっているのです。それを、ペテロ自身が、こう書き残しています。

【ペテロの手紙第一1:3】
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。

ここでペテロの言う「私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました」とはどういう意味でしょう。それは、「イエス・キリストが死者の中からよみがえられた」とおり、それを信じる私たちも、死の滅びから解き放たれて、新しい命を得、永遠に生きるという意味です。このことを心に留めて、イエスこそ、よみがえられた、生ける神の子、救い主と信じようではありませんか。

(2026.7.30)

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