105_イエス・キリストが納税?
【マタイの福音書17:24~27】
17:24 彼らがカペナウムに着いたとき、神殿税を集める人たちがペテロのところに近寄って来て言った。「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか。」
17:25 彼は「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスのほうから先にこう言われた。「シモン、あなたはどう思いますか。地上の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか、それとも、ほかの人たちからですか。」
17:26 ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは言われた。「ですから、子たちにはその義務がないのです。
17:27 しかし、あの人たちをつまずかせないために、湖に行って釣り糸を垂れ、最初に釣れた魚を取りなさい。その口を開けるとスタテル銀貨一枚が見つかります。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
このところのキリストは、ご自分が殺されて三日目によみがえることを予告して、やがて十字架に架かるエルサレムに向かおうとしています。そこで、キリストが弟子たちのその後を見据えて、彼らに様々な教訓を与えています。
神殿税とは?
【マタイの福音書17:24~27】
17:24 彼らがカペナウムに着いたとき、神殿税を集める人たちがペテロのところに近寄って来て言った。「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか。」彼は「納めます」と言った。
キリストと弟子たちが、カペナウムという所にやってきました。カペナウムは、弟子のペテロたちの地元です。すると、「神殿税」を集めている人たちが、「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか」と聞いてきたのですね。
この「神殿税」とは、当時このあたりを支配していたローマ帝国の税金ではありません。「神殿税」は、ユダヤ人たちが、神を礼拝するエルサレムの神殿を維持するために集めていた、地方税のようなものでした。
そしてこのお金は、ユダヤ人の成人男性ならだれでも、収入に関係なく、一律の金額を納めることになっていたのです。それをキリストは納めていなかったのですね。そこで人々が、「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか」と来たのです。
これに対してペテロは、「納めます」と答えました。ただし、彼はキリストの意向を聞くことなく、勝手に「納めます」と答えたのかもしれません。そのあたりのことが、続きを読むとわかります。こうあります。
神殿税は誰が納める?
【マタイの福音書17:24~27】
17:25 彼は「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスのほうから先にこう言われた。「シモン、あなたはどう思いますか。地上の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか、それとも、ほかの人たちからですか。」
さあ、ペテロが家に入ると、「イエスのほうから」切り出しました。ただなんとなく、ペテロの考えとは異なる雰囲気がうかがえますね。それが、「シモン、あなたはどう思いますか。地上の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか、それとも、ほかの人たちからですか」という言葉です。
ちなみに、王制をとっていた古代の国々では、国は王の所有物なので、国民が王に貢ぎ物をするのが一般的でした。そしてこの時代は、ローマ帝国が隆盛を極めていたので、ローマの市民権を持つ人は税金を免除された一方、彼らが支配していた「属州」と呼ばれる地域には、重い税金が課されていました。なので、聖書の舞台であるユダヤ地方も、ちょうどキリストが生まれた頃に「属州」となって、納税を強いられていたのでした。
こうした背景をもとに、「地上の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか、それとも、ほかの人たちからですか」と問うたのですね。続きです。
【マタイの福音書17:24~27】
17:26 ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは言われた。
「ほかの人たちから」取ると、ペテロが応答しました。従って、王は自分の子供たちからは税金を取らず、それ以外の人たちから徴収するものだ、というのですね。そこで、この認識をもとに、キリストが結論を語ります。
納税義務のないキリスト
【マタイの福音書17:24~27】
17:26 ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは言われた。「ですから、子たちにはその義務がないのです。しかし、あの人たちをつまずかせないために、湖に行って釣り糸を垂れ、最初に釣れた魚を取りなさい。その口を開けるとスタテル銀貨一枚が見つかります。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
キリストは、「子たちにはその義務がない」と言いながらも、「あの人たちをつまずかせないために」「納めなさい」と締めくくりました。ということは、本来ならキリストは、神殿税を納める必要はないけれども、あえて納めようというのです。ではなんで、キリストは納めなくてよいのでしょう。
この見解を理解する上で参考となるのが、イエス・キリストがまだ12歳だった時、初めて両親と、エルサレムの神殿を訪れた際のエピソードです。この時、親族や知人たちと帰路についた両親が、幼いイエスとはぐれたことに気づいて、探し回ったことがありました。すると、イエス・キリストが神殿に残って人々と議論を交わしていたのです。それを両親が見つけた時の、こんな記録が残っています。
【ルカの福音書2:48~50】
両親は彼を見て驚き、母は言った。「どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです。」すると、イエスは両親に言われた。「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」しかし両親には、イエスの語られた言葉が理解できなかった。
この場面で、幼いイエス・キリストは、「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか」と言っていますね。繰り返しますが、エルサレムの神殿は、神を礼拝する場所にほかなりません。そこを「自分の父の家」だと言っているということは、イエス・キリストが、自分は父なる神の子供なのだから、この神殿は自分の家だ、と認識していたとわかります。
それがわかると、今日のキリストの言葉も納得できますね。すなわち、イエス・キリストが神殿税を納めるべきかと言えば、そもそも神殿は自分の父の家なのだから、子供であるキリストが納める必要はない、というわけです。なのでキリストは、「子たちにはその義務がないのです」と言ったのですね。
ただしキリストは、集金している「人たちをつまずかせないために」、ペテロに魚を釣るよう指示しました。すると、最初に釣れた魚が銀貨をくわえているから、「それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい」というのです。聖書の記録はここまでですが、恐らくペテロは湖に行って、キリストが言っていたとおりに銀貨を得、神殿税を納めたと考えられます。これが今日のエピソードです。
なぜ神殿税を納めた?
さて、今日の記事では、キリストが、「あの人たちをつまずかせないために」神殿税を納めると言っていました。ただし、聖書全体を紐解くと、キリストが神殿税を納めるのは、実は、別の理由もあったとわかります。それはなんでしょう。
それは、この神殿税が、父なる神の定めた「律法」に由来していて、もし納めなければ、「律法」を破ったことになるからです。ではこの「律法」とは、どんなものでしょう。
それは、かつて神がユダヤ人たちに、モーセという預言者を通して授けた、613から成る掟のことなのです。その中に、神を礼拝する「幕屋」と呼ばれる施設のために、お金を集めることが定められていました。その「幕屋」が、時代を経て「神殿」に変わり、神殿税となったのです。
ということは、神が人となってこの世界に来たイエス・キリストにとっては、自分が神の子供だからといって、父なる神が定めた「律法」を破るわけにはいきません。なので、神であるなら納める必要のない神殿税を、人の立場として納めたのでした。これが、このエピソードの本質です。
律法を成就するために
以上、イエス・キリストが本来、神殿税を納める必要のない「神の子」、すなわち「神」そのものでありながら、「律法」を守るべき「人」として、あえて神殿税を納めたシーンを紐解きました。そこで、このイエス・キリストのポリシーを示す、キリスト自身の言葉をご紹介します。
【マタイの福音書5:13】
わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。
ここで出てくる「律法や預言者」とは旧約聖書を指しています。なのでキリストは、旧約聖書に出てくる「律法」の定めや「預言者」の言葉をすべて成し遂げるために来た、と言っているわけです。言い換えれば、キリストは旧約聖書に書かれた預言や掟を、すべて守る、破ることはない、と言うのですね。
ちなみに、私たちがはじめて聖書を読むと、旧約聖書には掟や戒めがいっぱい出てきて、神はそれを守れない人間を裁く、恐ろしい存在だと感じがちです。一方で、新約聖書の神は愛に満ちていて、一見すると、旧約聖書とは別の神ではないかと思えてしまいます。
でも、旧約聖書も新約聖書も、出てくる神は同じ神で、人間のことを愛している「愛の神」にほかなりません。
ただし、神は正義であるゆえに、人に罪があれば見逃すわけにはいかない「義の神」であることも忘れてはなりません。それがクローズアップされているのが旧約聖書で、人が神の愛と神の義を規範として生きるよう授けられたのが、「律法」です。
なので、「律法」が、神の正義を基準としているなら、残念ながら、不完全な人間には、それを完全に守ることは出来ません。となると、人が「律法」に違反したなら、その人は「罪人」となってしまいますね。ならば当然、その人は裁かれねばなりません。
そこで、人には守り切れない「律法」を完全に守った上で、守れない人の代わりに、「罪人」として裁かれるために来たのが、イエス・キリストです。なぜなら、「罪人」の罪を肩代わりするのは、「罪のない人」でなければ出来ないからです。でも「罪のない人」なんていないので、「罪のない神」であるキリストが、あえてイエスという「罪のない人」となって、その役目を果たされたのでした。
こうした事情から、キリストは、「罪のない人」として、完全に「律法」を守るために、神殿税を納めたのでした。ゆえに、このイエス・キリストこそ、私たちの罪を完全に贖い得た「救い主」だと言い切れるのです。この視点に立って、私たちも、イエス・キリストを「生ける神の子」「救い主」と信じて仰ごうではありませんか。
(2026.8.15)
