【キリストの足跡をたどる】021_キリストは私たちの神?

キリストは私たちの神?

【聖書】ヨハネの福音書4:5~26 
ユダヤ人とサマリア人は仲が悪い? 
生ける水とは? 
イエス・キリストの自己啓示 
永遠のいのちを与える方 
御霊と真理によって礼拝しよう 

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:5 それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリアの町に来られた。
4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。
4:7 一人のサマリアの女が、水を汲みに来た。イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と言われた。
4:8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
4:9 そのサマリアの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである。
4:10 イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
4:11 その女は言った。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。
4:12 あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」
4:13 イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
4:15 彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
4:16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 彼女は答えた。「私には夫がいません。」イエスは言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。
4:18 あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」
4:19 彼女は言った。「主よ。あなたは預言者だとお見受けします。
4:20 私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
4:21 イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。
4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
4:23 しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
4:25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」



今までの流れを確認しましょう。キリストは、ガリラヤのカナに続いて、ユダヤのエルサレムでも、多くの奇跡を起こされました。そして、ニコデモという人が尋ねて来ましたが、彼はキリストの話が理解できませんでした。今日はその続きで、キリストが、ユダヤから、再びガリラヤに戻る途中のシーンを見て行きます。場所は、ユダヤ人なら避けて通りたい、サマリアと呼ばれる地方での出来事です。

ユダヤ人とサマリア人は仲が悪い?

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:5 それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。

詳しい話は割愛しますが、実はサマリアに住むサマリア人と、エルサレム一帯に住むユダヤ人は、元々は同じ民族でありながら、様々な経緯から、めちゃめちゃ仲が悪い、口も聞かない間柄でした。そこをキリストはあえて通行し、彼らの共通の先祖ヤコブが掘ったとされる井戸に着きました。第六の時とは、12時か18時と考えられますが、共同訳聖書では「正午」と訳しています。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:7 一人のサマリアの女が、水を汲みに来た。イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そのサマリアの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである。

早速、サマリア人の、それも女性と鉢合わせました。ここでキリストが、ありえない行為に出ました。ユダヤ人だったら、大嫌いで口も聞きたくない、相手に借りなど絶対に作りたくない、そして要らぬ誤解を招きたくないサマリア人女性に、「水を飲ませてください」と頼みごとをしたのです。

当然、サマリアの女はびっくりです。聖書は女性の言葉を上品に訳していますが、背景を鑑みれば、実際はもっと怪訝な雰囲気が漂っていたのかもしれません。

生ける水とは?

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:10 イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

ここでキリストが、見えない神の領域の話をしているのがおわかりでしょうか。キリストは、女性に水を頼んでおきながら、私が誰だか知ってたら、あなたが私に水を求めてきただろうというのですね。それも、ただの水ではない、生ける水を与えることが出来ると宣言しているのです。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:11 その女は言った。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」

サマリアの女からすれば、なに言ってんの?みたいな話です。聖書は女の呼びかけを「主よ」と訳していますが、実際は、英語の「Sir」のような感じで、キリストに、そんな水をどうやって手に入れるんですか?と聞いたのでした。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:13 イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

キリストが核心に迫ります。ここで言う「生ける水」とは、私たちがイエス・キリストを信じたときに与えられる、三位一体の、聖霊なる神の助けのことです。この点についてはいずれ詳しく説明しますが、聖書は、信じる者に聖霊という助け主を与えて、霊的な意味で私たちを成長させ、永遠のいのちまで導いてくれることを教えています。

このように、ここでのキモは、キリストが、物理的な水から、霊的な「生ける水」の話に導いていることです。なぜならキリストは、人間の一時的な渇きを癒すために来られたのではなく、枯れて死ぬ運命にある人間を永遠に生かすために、世に来られたのでした。それを教えるために、この井戸端を通られたのです。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:15 彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

「渇かない水」と聞いた女はもうびっくりで、それちょうだいと言い出しましたが、さすがにそれが聖霊のことだとは考えも及びません。そこでキリストが自己啓示をはじめます。

イエス・キリストの自己啓示

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」彼女は答えた。「私には夫がいません。」イエスは言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」

キリストが女の境遇を言い当てました。今風には、この女性はバツ5で同棲中となりますが、実際は、当時の社会的な事情が影響したのかもしれません。余計な憶測は控えますが、この女性も、辛い過去を引きずっているように伺えます。その点に話が及ぶと、

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:19 彼女は言った。「主よ。あなたは預言者だとお見受けします。私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

彼女が「この山」といっているのは、サマリア人が礼拝所を設けていた、ゲリジム山という山を指しています。なので、彼女はキリストに一目置いた上で問うのです。私たちはゲリジム山で礼拝して、エルサレムとは縁がないですよ、その辺どうなんですか?といった雰囲気でしょうか。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:21 イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」

実はサマリアの人々は、聖書の一部を書き換えた『サマリア五書』を使っていて、ほかは聖書と認めていなかったので、ユダヤ人ほど宗教的な知見がありませんでした。そんな彼女にキリストが優しく語ります。私を信じなさい。救い主は確かにユダヤ人から生まれるけれども、父なる神は見えない霊だから、場所など問題ではなくなるときが来ます。何よりも神は、真心から礼拝する人を求めているんです。そして今がその時ですよ。という感じでしょう。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。」

とうとうこの女性の、霊的な心の渇きがあらわになりました。やがて救い主が来られたら、すべてのことを教えてくださるに違いないと。もうこれは、信仰告白に近い言葉です。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」

キリストから決定的な一言が出ました!「このわたしがそれです」。この言葉、ギリシャ語では、イエス・キリストが救い主だと表明していると同時に、神であることをも意味した爆弾発言です。そこでこの後、この女から話を聞いた多くのサマリア人が、キリストのもとに来て信じたと聖書は記録しています。ゆえにキリストが、ユダヤ人以外の異邦人にも救いを齎す神であることがわかります。

永遠のいのちを与える方

今日は、以前登場したニコデモとは対照的な人の下に、キリストが尋ねてこられたエピソードを見てきました。振り返れば、ニコデモは、神の選びの民であるユダヤ人の宗教指導者で、トップクラスのエリートでした。一方で、サマリアの女は、宗教的知見の乏しいサマリア人で、その中でも、社会の底辺で生きたと思われる人でした。けれども神は、同じキリストを通して救いを提供されました。

実は、私たち日本人は、宗教的には、サマリアの女に極めて近いことがわかります。なぜなら、多くの人が、漠とした神や仏を認めるものの、聖書の神を知らないか、或いはパスしているからです。従って、今日の話は、そんな私たちのもとにも、キリストが来られて、「このわたしがそれです」、すなわち、私があなたの神ですよ、と教えてくれているストーリーでもあるのです。

従って聖書は、この方こそ私の神だと信じるなら、「わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」というのです。この言葉、神などいないと思う人には、絵空事に聞こえるかもしれません。けれども、そんな人たちに聖書はこう言います。

【旧約聖書:伝道者の書3:11】 ※共同訳では『コヘレトの言葉』
神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

この言葉を背景とすると、キリストが私たちに伝えたいことがよくわかります。すなわち、人は一生の間に、神がなされるすべてを見ることはできない。けれども神は、人に永遠を思う心を与えているので、人は死んだら終わりではないことを、心の片隅ではわかっているはずだ。そこで私を信じなさい。そうすれば、永遠のいのちが、絵空事でないことがわかります。なぜなら、私があなたの代わりに死んで、あなたに永遠のいのちを与える、救い主だからです、と伝えたいのです。そしてそれは十字架によって実現するのです。

御霊と真理によって礼拝しよう

ゆえに、「わたしを信じなさい」というキリストの呼びかけに 素直に応じるなら、私たちは自ずと真心から、真の神を礼拝することが出来ます。それが今日、キリストが私たちに伝えたかった、もう一つのテーマ、「御霊と真理によって礼拝する」ということに繋がるのです。

厳密には、聖書の神は、①父なる神が計画し、②子なる神が実行し、③聖霊なる神が完成される、三位一体の神です。従って、「御霊と真理によって父を礼拝する」とは、先ず、②子なる神キリストを信じて救われたことによって、流れ出た「生ける水」である③聖霊なる神の助けによって、救いを計画された①父なる神に応答する、ということです。そして、「今がその時です」。その部分を抜粋しますので、ご一緒に読んで応答しましょう。

【ヨハネの福音書4:5~26】
4:21以下より抜粋   「わたしを信じなさい。・・・まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」

(2023.1.15)

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