092_ユダヤ人と異邦人は区別される?
【マタイの福音書15:21~28】
15:21 イエスはそこを去ってツロとシドンの地方に退かれた。
15:22 すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」
15:24 イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」
15:25 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」
15:26 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
15:27 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。
今日から、イエス・キリストとその弟子たちが、ユダヤ人の住む地域を離れて、外国人の地に赴いた場面を紐解きます。ただ、これから起こることは、私たちに予備知識がないと、ちょっと理解が難しいです。
ユダヤ人と異邦人は区別される
そこでまず、聖書を読み解く上で弁えておくべき、大事なことをお伝えします。それは、聖書の神や聖書全体が、イスラエルとも呼ばれるユダヤ人と、それ以外の外国人、すなわち、聖書では異邦人と呼ばれている私たちのことを、明確に区別しているということです。繰り返します。聖書の中では、ユダヤ人と異邦人は、明確に区別されているのです。
ただしそれは、人種に優劣をつけているわけではありません。そうではなくて、神が全人類に救いをもたらす上で、その祝福の基とするために、一から興したのがユダヤ人だったので、自ずと彼らを、ほかの民族と区別しているのです。このことは、私たちが謙虚に聖書から真理を学び取る上で、極めて大事な要素です。
具体的には、神は人類が初めて罪を犯したときに、人間を罪の滅びから救い出す「救い主」を遣わすことを宣言し、「救い主」が生まれ出る民族によって、全人類が神の祝福を受けると約束されました。それが示されたのが、旧約聖書の創世記にある、この言葉です。
【旧約聖書・創世記12:3】
地のすべての部族は、あなたによって祝福される。
ここで言う「あなた」とは、ユダヤ民族の先祖となったアブラハムという人のことです。そして「地のすべての部族」というのが、私たちを含む全人類です。なので神は、「全人類がユダヤ民族によって祝福される」と宣言しているのです。そして、聖書の予告どおりに、アブラハムの子孫から出た「救い主」と呼ばれる人物が、イエス・キリストでした。
なので、天の父なる神は、ユダヤ人が祝福の基としてふさわしい民族となるよう、彼らに継続して、神のことばや教えを授けてきました。それがまとめられたのが、旧約聖書です。
でも、彼らユダヤ人とて、私たちと同じ人間なので、彼らがいつも神に従順だったわけではありません。むしろ結果はその逆で、キリストが来た頃のユダヤ人たちは、後にユダヤ教の経典となる「昔の人の言い伝え」ばかり重んじて、聖書に書かれた神の教えの本質から、すっかり逸脱していたのでした。
なので、天の父なる神はキリストを通して、ユダヤ人たちに悔い改めを促し、先ず彼らを救いに導いた後で、異邦人にも同じ祝福を分け与えんとしていたのでした。言い換えれば、神の言葉や祝福は、先ずユダヤ人にもたらされ、次に異邦人に及ぶことが、聖書全体から読み取れるのです。
というわけで、神がユダヤ人と異邦人とを区別して取り扱っていることと、神の祝福が、先ずユダヤ人に届けられ、次に異邦人に及ぶことを弁えた上で、今日の本文を紐解きます。
「ダビデの子」
【マタイの福音書15:21~28】
15:21 イエスはそこを去ってツロとシドンの地方に退かれた。すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。
キリストと弟子たちが、ツロとシドンと呼ばれる地方に行きました。ツロとシドンとは、イスラエルの北の、レバノンにあたる地域です。すると一人の女性がやってきました。ただし、彼女は地元のカナン人、すなわち異邦人でした。ちなみに、同じ出来事を記録しているマルコは、
【マルコの福音書7:26】
彼女はギリシア人で、シリア・フェニキアの生まれであった・・・
と書き残しています。ということは、この女性はギリシア人で、マタイはこの地域の人々を総称してカナン人と呼んだのです。なので、マタイもマルコも、この人がユダヤ人ではなく、異邦人だったことを強調しているわけです。
そしてキリストに、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と懇願してきたのですね。さあ、どうなるんでしょう。
【マタイの福音書15:21~28】
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」
さあ、キリストの応答が、やたらと冷たい感じがしますね。なんでこんなに無愛想なんでしょう。実はこの理由こそ、キリストが遣わされた使命が、先ずユダヤ人に回心を促し、彼らを救って祝福することだったからでした。
ところが、救いを求めてやってきたのは異邦人で、さらにこの女性は、キリストに「ダビデの子よ」と呼びかけました。でも「ダビデの子」とは、本来はユダヤ人が使う慣用句で、あくまでも「ユダヤ人の王様」である「救い主」を指した言葉です。なぜなら「救い主」は、かつてユダヤ人の王様だった、ダビデという人の子孫から出ると、聖書を通して神が予告していたからです。
となると、異邦人が「ダビデの子よ」と呼んでも、それはでユダヤ人の王様を呼んだことになるので、分を弁えているとは言えません。なのでキリストは、この女性には直接は応えず、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません」と、弟子たちに漏らしたのでした。ところがこの後、この女性の信仰が現れます。
異邦人の救い
【マタイの福音書15:21~28】
15:25 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」
キリストが異邦人とユダヤ人を区別しているのを悟った彼女は、すぐに自分のアプローチが間違っていたことに気がつきました。そこで今度は、「ダビデの子よ」とは言わず、ただ「主よ、私をお助けください」とだけ呼びかけました。
この「主」とは、聖書が示す神の名前なので、「主」と呼びかけることは、イエス・キリストを全人類の神だと認める、最高の信仰告白にほかなりません。なので彼女は、なんの修飾語もつけず、ただ「主よ」とだけ呼び求めました。これなら、ユダヤ人でなくとも、神のあわれみにすがるのにふさわしい呼びかけですね。
ただし、神を表わす「主」という言葉は、本来は「主人」を意味した言葉でもあります。そこでキリストは、彼女の信仰が本物であるかを引き出すべく、こう続けます。
【マタイの福音書15:21~28】
15:26 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
さあ、この表現も、聞く人によっては、冷たいと感じるかもしれません。ここで出て来る「子どもたち」とはユダヤ人のこと、そして「子犬」が異邦人です。一般的に、人が犬呼ばわりされたら、馬鹿にされたと感じますよね。でも、キリストはここで異邦人を、家で子どもたちと共に遊ぶ、可愛い子犬になぞらえているのです。なので、キリストは決して異邦人を見下したり、馬鹿にしているわけではありません。
従って、キリストは女性が「ダビデの子よ」と叫んでいたことも踏まえ、「ユダヤ人に先に与えるべき祝福を取り上げて、今それを、異邦人に回すわけにはいかないのですよ」と釘を刺したのですね。そこで今日のクライマックスです。
【マタイの福音書15:21~28】
15:27 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。
女性の答えが、キリストをうならせました。彼女はユダヤ人と異邦人の立場の違いを弁えた上で、「小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」と応答しました。これは、神の祝福が、先ずユダヤ人に届けられるものの、私たち異邦人にとっては、その祝福の一部に与るだけでも、素晴らしい恵みなのですと、謙虚に受け止めた表現でした。
そこでキリストは、「あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」と称賛し、苦しんでいた娘が直ちに癒やされたのでした。これがこのエピソードの全貌です。
先ずユダヤ人、次に異邦人
さあ今日は、キリストが異邦人とユダヤ人とを明確に区別しているシーンを垣間見ました。更に、神の祝福が先ずユダヤ人に届けられるべきものであることも、見え隠れしましたね。そして事実、その後の聖書の記録を紐解けば、キリストがもたらした救いの良い知らせ、福音も、先ずはユダヤ人、そして異邦人へと広がったことがわかります。実はそうなることを弟子たちに予告した、キリストのこんな言葉があります。
【使徒の働き1:8】
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。
ここで挙げられた地域の順番に注目しましょう。新約聖書を紐解くと、キリストが天に上げられた後、この順番どおりに、イエス・キリストの福音が広がっていくのです。そして最後に出てきた「地の果て」というのが、私たち異邦人が住んでいる全世界のことです。なので日本にも、今こうしてキリストの福音が伝わっているのですね。
でも、せっかく届けられた福音を受け取るかどうかは、人間次第です。そこで私たちについては、今日出てきた異邦人の女性に倣い、素直にイエス・キリストこそ「主」であると信じて仰ごうではありませんか。それが神の祝福に与る第一歩です。
(2026.1.15)
