【キリストの足跡をたどる】096_パンとパン種から何を学ぶ?

096_パンとパン種から何を学ぶ?

【聖書】マタイの福音書16:5~12 マルコの福音書8:13~21
●パンを忘れた弟子たち 
●マルコの視点 
●マタイの視点 
●二人の記録が導くもの 

【マタイの福音書16:5~12】
16:5 さて、向こう岸に渡ったとき、弟子たちはパンを持って来るのを忘れてしまっていた。
16:6 イエスは彼らに言われた。「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい。」
16:7 すると彼らは「私たちがパンを持って来なかったからだ」と言って、自分たちの間で議論を始めた。
16:8 イエスはそれに気がついて言われた。「信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。
16:9 まだ分からないのですか。五つのパンを五千人に分けて何かご集めたか、覚えていないのですか。
16:10 七つのパンを四千人に分けて何かご集めたか、覚えていないのですか。
16:11 わたしが言ったのはパンのことではないと、どうして分からないのですか。パリサイ人たちとサドカイ人たちのパン種に用心しなさい。」
16:12 そのとき彼らは、用心するようにとイエスが言われたのはパン種ではなく、パリサイ人たちやサドカイ人たちの教えであることを悟った。

【マルコの福音書8:13~21】
8:13 イエスは彼らから離れ、再び舟に乗って向こう岸へ行かれた。
8:14 弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、一つのパンのほかは、舟の中に持ち合わせがなかった。
8:15 そのとき、イエスは彼らに命じられた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい。」
8:16 すると弟子たちは、自分たちがパンを持っていないことについて、互いに議論し始めた。
8:17 イエスはそれに気がついて言われた。「なぜ、パンを持っていないことについて議論しているのですか。まだ分からないのですか、悟らないのですか。心を頑なにしているのですか。
8:18 目があっても見ないのですか。耳があっても聞かないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。
8:19 わたしが五千人のために五つのパンを裂いたとき、パン切れを集めて、いくつのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」
8:20 「四千人のために七つのパンを裂いたときは、パン切れを集めて、いくつのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」
8:21 イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」

前回は、パリサイ人やサドカイ人といった、イエス・キリストを信じない人たちが、「天からのしるしを見せろ」すなわち「お前が救い主なら、もっと凄い奇跡を見せろ」と詰め寄ったシーンを紐解きました。それに対してキリストは、「あなたがたには『ヨナのしるし』以外は与えられない」と言い残して、その場を去りました。

この「ヨナのしるし」というのは、キリストが死んだ後によみがえることを指していて、キリストは彼らのような信じる気のない人たちに、これ以上奇跡など見せないが、いずれキリストが死んだ後、三日目によみがえることだけは、誰の目にも明らかになることを予告したのでした。今日はその続きです。

パンを忘れた弟子たち

【マタイの福音書16:5~12】
16:5 さて、向こう岸に渡ったとき、弟子たちはパンを持って来るのを忘れてしまっていた。イエスは彼らに言われた。「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい。」すると彼らは「私たちがパンを持って来なかったからだ」と言って、自分たちの間で議論を始めた。

さあ、キリストと弟子たちは、再びガリラヤ湖の西側を離れ、舟で対岸に渡ったのですね。その時弟子たちは、当座の食糧となるパンを忘れたことに気が付きました。ただしこのシーン、同じ場面を記録したマルコによれば、

【マルコの福音書8:13~21】
8:13 弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、一つのパンのほかは、舟の中に持ち合わせがなかった。

とあります。なので厳密には、残っていたパンが一つはあったのですね。ただ、それ以上の準備を忘れていたというわけです。そんな時にキリストが、「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい」と言ったのでした。そこで弟子たちは、パンを忘れたのを咎められたと思い込んだのでした。続きです。

【マタイの福音書16:5~12】
16:8 イエスはそれに気がついて言われた。「信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。

キリストはなにも、パンがないのをとやかく言う気はなかったのですね。むしろ、目に見えるパンのことで弟子たちが騒ぎ出したことに、少しがっかりしたようです。このシーン、マルコによれば、

【マルコの福音書8:13~21】
8:17 イエスはそれに気がついて言われた。「なぜ、パンを持っていないことについて議論しているのですか。まだ分からないのですか、悟らないのですか。心を頑なにしているのですか。目があっても見ないのですか。耳があっても聞かないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。

と記録しています。ということは、キリストは弟子たちに様々な経験をさせてきたのに、彼らがそこから学んでいないことに気付いたのでした。そこで引き続き、マルコの記録を辿ってみます。

マルコの視点

【マルコの福音書8:13~21】
8:19 わたしが五千人のために五つのパンを裂いたとき、パン切れを集めて、いくつのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」「四千人のために七つのパンを裂いたときは、パン切れを集めて、いくつのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」

さあ、キリストがこれまで行った二つの奇跡のことを持ち出しました。これらはいずれも、手元にあった僅かなパンをもとに、キリストが多くの群衆のお腹を満たしたという奇跡でした。そして余りを集めたら、それぞれ十二のかごや七つのかごがいっぱいになったのでした。ということは、イエス・キリストはこの二つの奇跡を通して、ご自分が信じる者の必要を満たす、救い主であることを知らせていたのですね。

こうしたことを踏まえれば、たとえパンが一つしかなくても、キリストが弟子たちのお腹を満たすことぐらい、出来ないはずがありません。なのでキリストは、弟子たちがキリストと共にいるなら、必要なものは満たされると信じてくれることを期待していたのでした。

でも弟子たちの信仰は、まだそこまで成長していなかったのですね。そこでキリストが、「まだ悟らないのですか」と嘆いたのです。これがマルコの記録の結末です。

一方マタイは、キリストがこの後語ったもう一つの視点に注目しています。ではここから、マタイの記事に戻って、その後を辿ります。

マタイの視点

【マタイの福音書16:5~12】
16:11 わたしが言ったのはパンのことではないと、どうして分からないのですか。パリサイ人たちとサドカイ人たちのパン種に用心しなさい。」そのとき彼らは、用心するようにとイエスが言われたのはパン種ではなく、パリサイ人たちやサドカイ人たちの教えであることを悟った。

さあ、マタイによれば、キリストは、パンを作るときに使うパン種を例に、パリサイ人やサドカイ人と呼ばれる、神の言葉をないがしろにしたり、誤ったことを言う人たちに気をつけるよう警告したのでした。すなわち、パン種が膨らんでパンになるように、誤った教えや言説が広がって、多くの人が悪影響を受けることに警鐘を鳴らしたのです。

ちなみにこの部分、マルコは「ヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい」と言ったと伝えています。このヘロデとは、当時このあたりを治めていた領主のことです。なので、パリサイ人たちが説く、聖書から逸脱した教えや、祭司や貴族階級に属するサドカイ人たち、それにヘロデのような権力者による、誤った言説にはくれぐれも気をつけろというわけです。これが、マタイが伝えるもう一つの結末です。

二人の記録が導くもの

さあ、こうしてマルコとマタイが残した記録から、大事な二つの示唆が与えられていることにお気付きでしょうか。まず一つ目は、イエス・キリストが、信じる者の必要を必ず満たされる方だと私たちも信じて、全幅の信頼を寄せることです。このことについて、キリストは別な場面でこう言っています。

【マタイの福音書6:31~33】
ですから、何を食べようか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

この言葉は、キリストを信じて集まってきた弟子たちに語られたものです。なので、「何を食べようか、何を着ようか」と心配するのは異邦人のすることだとありますが、ここでの異邦人とは、イエス・キリストのことを知らない人たちを指しているわけです。

ゆえに、イエス・キリストを救い主と信じるなら、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば」食べるものや着るものはすべて、それに加えて与えるからと励ますのですね。ただしこれは、働かなくても生活できるという意味ではありません。そうではなくて、私たちが聖書に書かれた神の言葉に忠実なら、衣食住についても神が心配してくださるということです。聖書にこんな言葉があります。

【ペテロの手紙第一5:7】
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

このことを、弟子たちだけでなく、私たちにも教えているのが、今日、特にマルコが伝えていた聖書の記録です。

そして二つ目は、私たちがイエス・キリストを救い主と信じたなら、それが書かれた聖書の言葉に素直に信頼し、聖書とは異なる教えや、人間の誤った言説にくれぐれも気をつけることです。それが強調されていたのが、キリストがパン種を例に話したことを克明に伝えた、マタイの記録です。

とりわけ現代では、イエス・キリストや聖書を語りつつも、その内実は決してキリスト教とは言えない、多くの異端やカルトのような団体が跋扈しているのが現実です。そしてそれらが、時に社会を揺るがす事件や、社会問題を引き起こしていますね。

こうしたことを鑑みれば、キリストが「くれぐれも用心しなさい」と言っていることを、軽んじてはいけません。実はキリストは、この世界が終わりを迎える頃には、キリストの名を語るにせ者が沢山現れることを、後の機会に予告しています。その場面を少しだけご紹介します。こうあります。

【マタイの福音書24:23~24】
そのとき、だれかが「見よ、ここにキリストがいる」とか「そこにいる」とか言っても、信じてはいけません。偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。

このように、この世界が終わりを迎えるその時には、偽預言者や偽キリストが現れて、多くの人々を惑わすというのです。ということは、今のこの時代がまさにその時なのかもしれません。

そこで私たちは、こうした警鐘を心に留めて、私たちの必要を満たしてくださるイエス・キリストに心からの信頼を置くと同時に、誤った教えや言説に惑わさることの無いよう、聖書の言葉に素直に耳を傾けていこうではありませんか。

(2026.3.15)

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