【キリストの足跡をたどる】098_「生ける神の子キリスト」とは?

098_「生ける神の子キリスト」とは?

【マタイの福音書16:13~17】
16:13 さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。
16:14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
16:17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。

【聖書】マタイの福音書16:13~17 
●イエスとは誰だ? 
●イエスは「キリスト」  
●イエスは「生ける神の子」  
●明らかにしたのは神 
●私たちの目も開かれる?

前回は、キリストがベツサイダという村で出会った、目の見えない人を見えるようにしたシーンを紐解きました。そのことから、イエス・キリストが旧約聖書で予告されていた救い主であることと、実は私たちも、霊的な意味では、目が見えないお互いで、キリストを信じることによって、神を見る心の目、霊の目が開かれていくことを学びました。

そして今日は、徐々に霊の目が開かれて来た当時の弟子たちに、キリストが大事な問いかけをするシーンを紐解きます。

イエスとは誰だ?

【マタイの福音書16:13~17】
16:13 さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。

キリストとその弟子たちは、ベツサイダから、イスラエルの北のはずれ、ピリポ・カイサリアと呼ばれる地域に行きました。そんな折、キリストが弟子たちに、「人々は人の子をだれだと言っていますか」と問うたのですね。

ここで出て来る「人の子」とは、イエス・キリストのことです。なので、キリストは弟子たちに、人々が自分のことを何者だと思っているか聞いたわけです。

【マタイの福音書16:13~17】
16:14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」

弟子たちが何人か、人の名前を挙げていますね。これらの人たちはいずれも、神から言葉を預って、人々にそれを伝える使命を負った「預言者」と呼ばれる人たちです。中でもバプテスマのヨハネは、キリストの登場に先立って「神の国が近付いた」と言って、当時の人々に、心を入れ替え、神に立ち返るよう、悔い改めを迫っていた人物でした。でも彼はその後、時の権力者に殺されてしまいました。

そしてエリヤとかエレミヤは、キリストが来る前に書かれた旧約聖書に出て来る人物で、彼らもまた、偶像崇拝に陥っている人々や、悔い改めない人々を前に、神の意志を体現した人たちでした。

なので民衆の多くは、イエス・キリストを、そうした「預言者」の生まれ変わりだとか、新たな「預言者」が来たと受け止めていたのですね。ただし「預言者」は、神から特別な使命を帯びて遣わされはするものの、所詮は人に過ぎません。なので当時の人々は、イエス・キリストのことを、私たちと同じ、ただの人だと思っていたわけです。そこでキリストが、弟子たちに直球を投げかけます。

【マタイの福音書16:13~17】
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

今度はキリストが弟子たちの考えを問いました。世間は私のことを「預言者」すなわち「ただの人」だと思っているようだが、あなたがたはどうなんだ、というわけです。さあ、彼らはどう答えるのでしょう。

【マタイの福音書16:13~17】
16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」

この応答が今日のポイントです。「あなたは生ける神の子キリストです」と言っていますね。これは、イエスが何者なのかを言い表した、模範解答のような応答です。

ちなみにこの部分、共同訳聖書では、「あなたはメシア、生ける神の子です」と訳しています。これは、当時使われていた言葉が、ヘブライ語やアラム語だったので、新約聖書が書かれたギリシャ語の「キリスト」ではなく、「キリスト」を意味するヘブライ語の「メシア」という言葉をそのまま当てているのです。そして並び順も、「キリスト」の次に「生ける神の子」と続きます。では、ペテロが言い表した「メシア」「キリスト」とか、「生ける神の子」というのが、どんな意味を持っているのでしょう。今日はそれを探ってみます。

イエスは「キリスト」

でははじめに、ヘブライ語の「メシア」を意味する「キリスト」についてです。ちなみに「キリスト」とは、ファミリーネームではありません。なのでイエス・キリストは、キリスト家のイエスを意味するのではありません。そうではなくて、「キリスト」とは、日本語では便宜上「救い主」と訳されるのが一般的です。ということは、ペテロが「あなたはキリストです」と言ったのは、簡単に言えば、「あなたは救い主です」と告白したわけです。

ただ、ギリシャ語では「キリスト」と呼ばれる、ヘブライ語の「メシア」という言葉は、元々「油を注がれた者」という意味で、日本語で「救い主」と言い切ってしまっては納まりきらない、より深い意味が含まれます。

具体的には、「油を注ぐ」とは、神の言葉を預かって人々に伝える「預言者」をはじめ、宗教的な祭儀を司る「祭司」、それに、人々や国を束ねる「王」を任命するときに用いられる言葉なのです。なので、「メシア」とは、預言者や祭司、あるいは王として任命された、神から「油を注がれた者」という意味を持つのです。

こうした背景から、ペテロをはじめとする当時のユダヤ人たちは、旧約聖書で予告されていた来るべき「メシア」は、ユダヤ人たちの王としてやってくると思っていたのでした。

というわけで、より原語の意味に近づけるなら、ペテロはイエスのことを「メシア」だと告白し、「あなたは旧約聖書で神が私たちに遣わすと約束されていた、私たちの王である救い主です」といったニュアンスを込めたのでした。これが「あなたはキリストです」という言葉の意味するところです。

イエスは「生ける神の子」

そして更に、「あなたは生ける神の子」と言っていますね。ということは、ペテロはここでイエスを、ただの人ではなく、神と同質の存在である「神の子」、すなわち、質的には「神」そのものだと言っているわけです。これは、ペテロがどこまで理解していたかはともかく、爆弾発言です。

ただしこれでは、「神」「神の子」がいることになるので、一神教ではなくて、多神教ではないか、という疑問が湧いてきますよね。でも、キリスト教は決して多神教ではありません。そこで出てくるのが、「三位一体」と呼ばれる、神の属性を表す概念です。

実は、聖書全体を紐解くと、聖書が啓示している神は、あくまでも本質的には一つでありながら、その属性において、三つのパーソナリティを持って働いているとわかります。そのパーソナリティというのが、人間に例えれば、親子関係のように見える「父なる神」と「子なる神」、そして今日の聖書箇所では出てきませんが、「聖霊なる神」と呼ばれる三つに分けられるのです。

なので、父と子と聖霊という三つのパーソナリティを持つ神が愛の関係で結ばれていて、本質的には一体であることを表わしたのが、「三位一体」と呼ばれる神学用語です。

というわけで、キリストの問いかけに応答した弟子のペテロは、イエスを、神が人となって来られた「生ける神の子」、すなわち「父なる神」と本質的には一体の、「子なる神」だと告白したのですね。これが、「あなたは生ける神の子キリストです」という言葉の内実です。そこでキリストが応答します。

明らかにしたのは神

【マタイの福音書16:13~17】
16:17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。

キリストが、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです」と、ペテロの答えに大変喜びました。ちなみに「バルヨナ・シモン」とは、ヨナの息子シモンという意味です。

そして、「このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です」と言っていますね。これも大事なポイントです。というのは、キリストに従って来た弟子たちは、神学者でも宗教家でもない、普通の人に過ぎません。ペテロは元々漁師です。なので、「三位一体」のような難しい概念など、彼らがわかるはずもありません。

それなのに、ペテロが、イエスのことを的確に言い当てたのは、驚くべきことですよね。そこでキリストが、「私が何者なのかをあなたに明らかにしたのは、宗教指導者たちのような人ではなくて、天におられる父なる神なのですよ」と明かしたのでした。そしてこの後もキリストの話が続きますが、今日はここで区切って、まとめをしておきたいと思います。

私たちの目も開かれる?

今日のキモは、イエスが何者なのかについて、ペテロが「生ける神の子キリスト」だと言い表したことでした。すなわち、イエスが、「三位一体」と呼ばれる神のうちの、子なる神が人となって来られた「生ける神の子」であり、天の父なる神が遣わすと約束した、王として君臨すべき救い主「キリスト」であるということでした。

そして、ペテロをはじめ弟子たちが、こうした見識を持ち得たのは、彼らが人から教わったのではなくて、天の父なる神が教えてくださったからだというのが、キリストの説明でした。というわけで、はじめは何も見えなかった弟子たちの「霊の目」が徐々に開かれ、イエスが何者なのか、ぼんやりながらも見えるようになったことを伝えているのが、この聖書箇所です。このことについては、前回、こんな聖書の言葉をご紹介しました。

【コリント人への手紙第二3:16】
しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。

【コリント人への手紙第二3:14】
それはキリストによって取り除かれるものだからです。

ここで出て来る「主」とは、子なる神であるイエス・キリストや、天の父なる神を表わす「三位一体」の神のことです。ゆえに、私たちがイエスを「キリスト」「救い主」と信じるなら、その人を覆っていた覆いが除かれ、今まで見えなかったものが見えてくるというわけです。その最たる証拠が、「あなたは生ける神の子キリストです」と答えた、今日のペテロの信仰告白です。

そこで私たちも、まずは素直に、イエス・キリストを救い主と信じて仰ごうではありませんか。そうすれば、私たちの目を覆っていた覆いが除かれ、より神の何たるかがわかってきます。共にそのようなお互いとならせていただきましょう。

(2026.4.30)

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