【キリストの足跡をたどる】016_救い主は三日でよみがえる?

救い主は三日でよみがえる

【聖書】ヨハネの福音書2:13~22 
ユダヤ人の過越の祭りとは? 
「わたしの父の家」とは? 
神殿はキリストのからだ? 

●なぜキリストは神殿になぞらえた? 
世の罪を取り除く神の子羊 

【ヨハネの福音書2:13~22

2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。

2:14 そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、

2:15 細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、

2:16 鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」

2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。

2:18 すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか。」

2:19 イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」

2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」

2:21 しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。

2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。

今回は、ガリラヤのカナでの婚宴に続いて、エルサレムで起こった出来事を見ていきます。

ユダヤ人の過越の祭りとは?

【ヨハネの福音書2:13~22

2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。

イエス・キリストの母体となるユダヤ民族には、その成り立ちに由来する大事なお祝い事がありました。中でも、今日取り上げる「過越の祭り」は、彼らがかつてエジプトでの奴隷生活から解放された「出エジプト」を記念する春の祭りで、多くの人々が、エルサレムにある、神を礼拝する神殿を訪れて、お祝いしていました。

ところが、その神殿域には、礼拝に訪れる人々を食い物にする連中が巣食っていたのです。それに対してキリストが怒りを発します。

「わたしの父の家」とは?

【ヨハネの福音書2:13~22

2:14 そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。

柔和な印象のキリストとはかけ離れたシーンが展開されます。その原因は、神殿の前で、人々が神に献げるための、牛や羊や鳩をを高値で売りつけたり、人々が持ってきた通貨を、神殿で献げるための貨幣に、法外なレートで両替する連中がいたからでした。

キリストにしてみれば、神殿とは、人々が集まって神を礼拝する、家にも等しい場所でした。なぜなら、キリスト自身が三位一体の子なる神なので、「わたしの父の家を」と我が事のように怒ったのは当然だったのです。そこで、この言葉をもって、「こいつ、自分が神だと宣言したな!」と察知したユダヤ人たちが騒ぎはじめます。

神殿はキリストのからだ?

【ヨハネの福音書2:13~22

2:18 すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか。」イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」

当時のイスラエルでは、救い主の到来を待ち望む機運が高まっていました。そこで、イエス・キリストが神と宣言したと悟ったユダヤ人たちは、証拠を見せろと詰め寄りました。それに対してキリストは、「神殿を壊したら三日でよみがえらせる」と、意味のわからない返事をされました。これを聞いた彼らは、46年もかかってなおも改修中の神殿を、三日で建て上げるのかといぶかしみます。そして弟子たちも、キリストの言ったことがわかりませんでした。けれども、後になってから、弟子たちはこの言葉の本当の意味を知ることになります。それをヨハネが解説してくれています。

【ヨハネの福音書2:13~22

2:21 しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。

ヨハネによれば、「神殿を三日でよみがえらせる」とキリストが言ったのは、建物としての神殿ではなく、「ご自分のからだ」を神殿になぞらえて言われたというのです。すなわちキリストは、ご自分が死んで葬られた後、三日目によみがえることを、人々の前で予告されたのでした。そしてこの予告は、三年後の、同じ過越の祭りの直後に実現してしまいます。その時に弟子たちが思い起こすよう、キリストがアンカリングをされたのでした。では、三年後の、キリストが殺されて三日目の記録をご紹介します。

【ルカの福音書24:1~8

週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。見ると、石が墓からわきに転がされていた。そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」彼女たちはイエスのことばを思い出した。

キリストを救い主と信じていた女性たちが、墓に行ってみると、遺体がなくなっていて、そこにいた天使から「キリストがよみがえられた」と告げられたというのです。

続いて、弟子たちが集まっているところにキリストが現れるシーンを紹介します。

【ルカの福音書24:36~40

これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」こう言って、イエスは彼らに手と足を見せられた。

こうしてキリストは復活し、40日にわたって人々の前に現れた上で、天に上げられたと記録されています。春に耳にする「イースター」(復活祭)とは、この事をお祝いしているのです。とはいえ、弟子たちが幽霊と思ったように、死んだ人が復活するということは、信じがたいことでした。

だからキリストは、目の前で起こる復活について、弟子たちが腹落ちできるように、3年も前から、「わたしは、三日でそれをよみがえらせる」と予告をされました。その結果、ヨハネは、「イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた」と告白しています。従って私たちは、ヨハネが根拠もなく夢物語を残したのではないことを、重く受け止める必要があります。

なぜキリストは神殿になぞらえた?

ではなぜキリストは、ご自分のからだを神殿になぞらえたのでしょう?

それは、当時の神殿が果たしていた、「人々の罪を贖う場」としての役割を、キリストが果たすことになるからでした。そして、それが実現すると、人々が集まる神殿に代わって、「キリストのからだなる教会」と呼ばれる概念が誕生するのです。

冒頭で触れたように、神殿では、人間の罪を贖うために、律法の定めに従って、キズのない動物が犠牲として献げられていました。だから、「キズがあってはいけない」のをいいことに、人々が携えて来る動物を却下して、キズのない動物を高く売る輩がいたのです。けれども、キリストの十字架による死と埋葬、復活によって、神殿はその役割を終えることになります。なぜなら、キズのない動物に代わって、罪のないキリストが犠牲になることで、私たちの罪が完全に贖われることになったからです。

言い換えれば、神殿で献げられていたキズのない動物は、罪のないキリストの「型」であって、イエス・キリストこそ、人間の罪を永遠に贖う「本体」です。厳密には、動物の犠牲は、キリストが来るまでの間、人々の罪を一時的に覆っておくための、律法が定めた覆いに過ぎませんでした。そのことを聖書はこう言っています。

【ヘブル人への手紙10:1~4より抜粋】

律法には来るべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえ(=キズのない動物)によって神に近づく人々を、完全にすることができません。・・・【中略】・・・雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。

よくよく考えれば、「贖い」とは、「失われたものを代価を払って買い戻す」ことなので、そもそも人間を動物で買い戻すこと自体が無理な話です。でも、キリストが来られるまでは、キリストの代わりとなるしるしが必要だったので、キズのない動物を神殿で献げることが、律法で定められた、神への信仰表現だったのです。ゆえに聖書は、キリストが来られた意義をこう説明しています。

【ヘブル人への手紙9:11~12より抜粋】

キリストは・・・【中略】・・・雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所(=神殿)に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。

この言葉は、キリストが十字架で血を流されたことで、私たちの罪が永遠に贖われたことを説明しています。それによって、それを信じる私たちは勿論のこと、キリストが来るまで、律法に書かれた神の言葉を素直に信じて動物を献げてきた人たちも、その信仰と恵みによって、キリストによる「永遠の贖い」にあずかることが明らかとなりました。なぜなら、「永遠」である以上、キリストの贖いに期限はないからです。それほどまでに、この贖いは完全で、私たちの現在、過去、未来を問わず、信じる者の一切の罪を贖い続けることができるのです。

世の罪を取り除く神の子羊

しばらく前に、バプテスマのヨハネという人が登場しましたが、キリストが来られたとき、彼はキリストを見て、こう言いました。

【ヨハネの福音書1:29

「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」

この言葉どおり、キリストこそ、私たちの罪を永遠に贖う、唯一の犠牲の子羊、神が人となって来られた救い主です。この救い主が「三日でそれをよみがえらせる」と予告したとおり、 十字架にかかって死んで、葬られて、三日目によみがえり、私たちの罪を完全に贖ってくださったことを、今、素直に認め、共に救いにあずかろうではありませんか!

2022.10.30

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