【キリストの足跡をたどる】019_福音(ふくいん)ってなに?

福音(ふくいん)ってなに

【聖書】ヨハネの福音書3:13~17   
イエス・キリストの神性宣言 
「荒野で蛇を上げた」とは? 
福音とは?
 

【ヨハネの福音書3:13~17

3:13 だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。

3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。

3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

これまでのおさらいをしておきましょう。キリストは、荒野で洗礼と誘惑を受けた後に、カナでの婚礼とエルサレムで、ご自身が神であることを示す「しるし」すなわち奇跡を起こされました。そこで、「この方は」と感じたニコデモという宗教指導者が、キリストのもとを尋ねてきましたが、ニコデモは、キリストの言うことが理解できません。

そこで、前回読んだ最後の節から、キリストの話しの続きを見ていきます。

イエス・キリストの神性宣言

【ヨハネの福音書3:13~17

3:13 だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。

この言葉、爆弾発言です。なぜなら、「人の子」とは、キリストのことなので、「目に見えない神の領域にまで上って見てきた人はいないよね、だから私が人となって下ってきた、三位一体の子なる神なのですよ」と、ご自分が神だと神性宣言をされたに等しいからです。

【ヨハネの福音書3:13~17

3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。

この言葉も、実はものすごい爆弾発言です。なぜならキリストは、旧約聖書に書かれた「モーセが荒野で蛇を上げた」という、ユダヤ人だったら誰でも知っている出来事を持ち出して、それと同じことが私の身に起こるよ、と宣言しているからです。では、「荒野で蛇を上げた」とは、どういう事件だったのか、その記事をご紹介します。

「荒野で蛇を上げた」とは?

【旧約聖書・民数記21:4~9

21:4  彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」そこで【主】は民の中に燃える蛇を送られた。蛇は民にかみついたので、イスラエルのうちの多くの者が死んだ。

これは、かつてイスラエルの民が、エジプトでの奴隷生活から解放された、「出エジプト」と呼ばれる出来事を経験しておきながら、その後の旅路が辛抱できなくて、神である主が立てた指導者モーセに不満をぶちまけたシーンです。すると、「燃える蛇」すなわち毒蛇が民に噛み付いて、多くの死者が出たのですね。

【旧約聖書・民数記21:4~9

21:7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは【主】とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう【主】に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると【主】はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。

要約すると、蛇による死の恐怖に直面した民が、罪を認めて神に立ち返ると、神は「蛇を作って旗ざおに付け、それを仰ぎ見よ」と仰ったので、モーセがそのとおりにしたら、それを仰ぎ見た人々は生きた、というわけです。

大変な示唆に富んだ出来事です。すなわち、人々は神に背いた結果、蛇によって死が齎されました。実は、旧約聖書の創世記で、最初の人アダムが創られたとき、人には罪も死もなかったのに、それらを齎した元凶も蛇でした。ゆえに蛇は、私たちを死に至らしめる罪の象徴でもあって、アダム以来、人は皆、神に背中を向けて歩む生活習慣病のような罪のゆえに、死ぬ運命にあるのです。

なので、神は私たちに、様々なことを通して、私に立ち返りなさい、方向転換をしなさい、と促しています。この場面では、民がいよいよ死に直面して、「私たちは罪を犯しました。どうか、蛇を取り去ってください」と、罪を認めて神に立ち返っていることが伺えます。

そこで神は、さおに上げられた蛇を仰ぎ見なさい、と促しました。この蛇は、青銅で出来ているので、それ自体に罪はないのに、さおに上げられて罪の象徴となりました。でも、なんでそんなものを仰ぐ必要があるのでしょう?恐らく、バカバカしいと、振り向きもしなかった人もいたと思います。でも、このことを通して、人々が本当に神に立ち返って、素直に神の言葉を信じたのかが明らかになり、それが生死を分けることになります。

実は、旧約聖書で「裁き」について説明した箇所に、「木にかけられた者は神にのろわれた者だからである」(申命記21:22~23)という、ちょっと怖い言葉があります。すなわち、木にかけるとか、さおに上げることは、かけられたものが裁かれることを意味しているのです。従って、神は、「この蛇に象徴されたあなたがたの罪は、木にかけて私が裁いたから、私の言うことを信じて、これを仰ぎ見るなら死なないよ」と言っているのです。なので、神に立ち返って、神の言葉を素直に信じた人だけが、「青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた」のです。

この出来事を受けて、キリストは、「蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。」と言いました。言い換えれば、「罪のない青銅の蛇と同じように、罪のない私も木にかけられて、裁かれなければならないのだ」と、宣言されたわけです。そしてその理由が告げられます。

【ヨハネの福音書3:13~17

3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

イスラエルの民が神に立ち返って、神の言葉を素直に信じ、罪のない青銅の蛇が代わりに裁かれたのを仰ぎ見た人は、生きることが出来ました。同じように、神に背中を向けている私たちが立ち返って、罪のないキリストが私たちの代わりに十字架で裁かれることを、素直に信じて仰ぎ見る人は、永遠のいのちを持つことになりますよと、キリストは予告をされていたのです。

これを聞いたニコデモは、まだピンと来なかったでしょうね。けれども、キリストが真の救い主ではないかと素直に尋ね求めてきたニコデモは、それから3年後、キリストが本当に十字架に架けられたことで、キリストが間違いなく救い主だと悟ることができたようです。同じように、私たちも先ず、聖書に書かれた神に立ち返って、その言葉に素直に耳を傾けるなら、キリストが真の救い主であると、誰でも悟ることができます。

では、キリストによって齎された、このグッドニュース、これを日本語では「福音」といいますが、その真髄である、最後の節を読んで終わりにします。

福音とは?

【ヨハネの福音書3:13~17

3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

私たちは皆、「死に至る病」を抱えたお互いです。ゆえに多くの人は、歳をとるにつれ、「終活」を考えます。そしてその内容は、安らかな最期を迎えたい、残された人たちに迷惑をかけたくない、といった、肉体的な死への備えが、専らの関心事です。この点について、聖書は、肉体的な死が訪れる前に、先ず私に立ち返って、霊的な死を解決しなさいと促しています。それがこの聖書箇所です。

肉体的な死は、私たちが滅びることを明示した出来事です。ところが神は、「一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため」に、「ひとり子をお与えになった」すなわちキリストを遣わして十字架に架けたのだと言います。そしてそれは、「世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」と断言しています。

従って、神は今、私たちが、言い換えれば、あなたが、神に立ち返り、キリストの十字架による死と埋葬、復活が、私の罪を贖(あがな)うためだったと、素直に信じて仰ぎ見るとき、いつ肉体的な死が訪れても、あなたは滅びることなく、永遠のいのちを持つ、と断言しています。なぜなら、キリストが復活して、多くの人々の前に現れた後、天に上げられて、今も生きておられると聖書が証言していることこそ、いのちが永遠であることの裏付だからです。

では、「福音」の中身となる言葉を確認しておきましょう。

【コリント人への手紙第一15:3~4

キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、・・・

冷静に考えれば、こんな途方もないことは、父なる神でなければ計画できず、子なる神でなければ実現できません。それほどまでに神は「世を愛された」、すなわち私たち、そしてあなたを愛しているのだ、というのです。これが神の愛であり、あなたを救うためにキリストが代わりに十字架に架かられた、この良い知らせを、福音(Good News、または、God Spell)と呼ぶのです。

今日、あなたもこの福音を素直に信じ、共にキリストの十字架を仰ぎ見ようではありませんか。その瞬間、あなたは救われて、永遠のいのちを持つことができます。本当です。その確信を持てるよう、今ご紹介した聖書にご自分の名前を入れて、日付と共に書きとめておかれることをお勧めします。ご一緒に読んでみましょう。

「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、【私たち】の罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、・・・」

これが福音の内容です。そして、このことを信じるとどうなるか、確認します。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに【世】を愛された。それは御子を信じる【者】が、(一人として)滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、【世】をさばくためではなく、御子によって【世】が救われるためである。」

このことを今、あなたが素直に信じたのであれば、あなたは今、救われて永遠のいのちを得たのです。

(2022.12.15)

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