【キリストの足跡をたどる】028_罪ってなに?

罪ってなに?

【聖書】マルコの福音書2:1~12  
●中風の人の癒し
 
●聖書が語る「罪」ってなに? 
●「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」 

【マルコの福音書2:112

2:1 数日たって、イエスが再びカペナウムに来られると、家におられることが知れ渡った。

2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまで隙間もないほどになった。イエスは、この人たちにみことばを話しておられた。

2:3 すると、人々が一人の中風の人を、みもとに連れて来た。彼は四人の人に担がれていた。

2:4 彼らは群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、イエスがおられるあたりの屋根をはがし、穴を開けて、中風の人が寝ている寝床をつり降ろした。

2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

2:6 ところが、律法学者が何人かそこに座っていて、心の中であれこれと考えた。

2:7 「この人は、なぜこのようなことを言うのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」

2:8 彼らが心のうちでこのようにあれこれと考えているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを考えているのか。

2:9 中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

2:10 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。

2:11 「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」

2:12 すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。それで皆は驚き、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめた。

【マタイの福音書9:18

9:1 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。

9:2 すると見よ。人々が中風の人を床に寝かせたまま、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。

9:3 すると、律法学者たちが何人かそこにいて、心の中で「この人は神を冒瀆している」と言った。

9:4 イエスは彼らの思いを知って言われた。「なぜ心の中で悪いことを考えているのか。

9:5 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

9:6 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、それから中風の人に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。

9:7 すると彼は起き上がり、家に帰った。

9:8 群衆はそれを見て恐ろしくなり、このような権威を人にお与えになった神をあがめた。

【ルカの福音書5:1726

5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人たちと律法の教師たちが、そこに座っていた。彼らはガリラヤとユダヤのすべての村やエルサレムから来ていた。イエスは主の御力によって、病気を治しておられた。

5:18 すると見よ。男たちが、中風をわずらっている人を床に載せて運んで来た。そして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとした。

5:19 しかし、大勢の人のために病人を運び込む方法が見つからなかったので、屋上に上って瓦をはがし、そこから彼の寝床を、人々の真ん中、イエスの前につり降ろした。

5:20 イエスは彼らの信仰を見て、「友よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

5:21 ところが、律法学者たち、パリサイ人たちはあれこれ考え始めた。「神への冒瀆を口にするこの人は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」

5:22 イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いて言われた。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。

5:23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

5:24 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」

5:25 すると彼はすぐに人々の前で立ち上がり、寝ていた床を担ぎ、神をあがめながら自分の家に帰って行った。

5:26 人々はみな非常に驚き、神をあがめた。また、恐れに満たされて言った。「私たちは今日、驚くべきことを見た。」

このところ、イエス・キリストは、様々な行動を通して、ご自身が神であることを示しておられますが、そんなキリストを取り巻く状況が、これから徐々に緊迫していきます。今回はその序章となるシーンです。なお、今日はマルコの福音書を紐解きますが、この記事は、マタイやルカも記録しているので、随時それらも取り上げてまいります。

中風の人の癒し

【マルコの福音書2:112

2:1 数日たって、イエスが再びカペナウムに来られると、家におられることが知れ渡った。それで多くの人が集まったため、戸口のところまで隙間もないほどになった。イエスは、この人たちにみことばを話しておられた。

このシーン、場所は恐らく、シモン・ペテロの家であろうと考えられています。そこで沢山の人たちがキリストの話に耳を傾けていましたが、ルカの記録によれば、

【ルカの福音書5:17

パリサイ人たちと律法の教師たちが、そこに座っていた。彼らはガリラヤとユダヤのすべての村やエルサレムから来ていた。

とあるんです。この、パリサイ人たちと律法の教師たちとは、ざっくりとくくると、当時のユダヤ教の宗教指導者たちです。彼らはどうやら、最近人気のイエス・キリストが何者なのか、調査団をつくって各地から観察に来たようですね。そんな中で、事件が起こります。

【マルコの福音書2:112

2:3 すると、人々が一人の中風の人を、みもとに連れて来た。彼は四人の人に担がれていた。彼らは群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、イエスがおられるあたりの屋根をはがし、穴を開けて、中風の人が寝ている寝床をつり降ろした。

すごいことをする人たちがいたもんです。4人の人が病人を癒してもらおうと、屋根を破って、キリストがいる部屋につり降ろしたというのですね。中風というのは、脳卒中などで、倒れたり障害がある状態のことなので、不自由な病人を何とかしたい彼らの一途な思いが滲み出た行為です。

【マルコの福音書2:112

2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

「イエスは彼らの信仰を見て 」とあるので、彼らに信仰があるとキリストは認めたようです。確かに、病人を運んできた4人は、癒しを信じて、屋根に穴まであけているのですから、大した信仰の持ち主だとわかりますね。でも、病人に、「あなたの罪は赦された」と言っているのは、あれれ?何でこの人に信仰があるってわかったの?って思いませんか。この点については、後で答えが出てくるので、そこでもう一度触れたいと思います。

そして、ここで注目すべきは、キリストは、この人の病を癒したのではなく、先ず、罪の赦しを宣言していることです。これが宗教指導者たちを刺激することになります。

【マルコの福音書2:112

2:6 ところが、律法学者が何人かそこに座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこのようなことを言うのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」

人間の罪を赦せるのは、神しかいないと、宗教指導者たちが考えているのは、正解です。なので、キリストはそれを前提として、彼らの前で、「あなたの罪は赦された」と宣言しました。従って、キリストは暗に、「罪の赦しを宣言している私こそ神なのです」と、彼らに伝えたのですね。ところが彼らは、「神を冒瀆している」と怪しみました。その本心をキリストが読み取ります。

【マルコの福音書2:112

2:8 彼らが心のうちでこのようにあれこれと考えているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを考えているのか。

キリストが、「ご自分の霊で見抜いて」とあります。思い起こせば、キリストは以前、エルサレムの人々の心を見抜いて、彼らを信用しなかったことがありました。そこからも明らかなとおり、キリストは人の心のうちを見抜ける方でした。ゆえに、宗教指導者たちの内心を見抜くと共に、中風で動けない人に信仰があることも見抜かれたのでした。なので彼に、「あなたの罪は赦された」と宣言出来たのです。

そこで、宗教指導者たちに、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを考えているのか。」と問い詰めます。なぜなら、神であるキリストにとっては、罪の赦しを宣言したのに、彼らが「神を冒瀆している」と受け取ったこと自体が、冒瀆なのです。

なので、マタイはより具体的に、

【マタイの福音書9:4】

「なぜ心の中で悪いことを考えているのか。」

と記録しています。従って、宗教指導者たちは、はじめから、イエスなど救い主であるはずがないといった、否定的な態度で調査しに来ていたことがわかります。そこで彼らに、キリストが重ねていきます。

【マルコの福音書2:112

2:9 中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

キリストは、「罪が赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのでは、どちらが簡単か、と問いました。この質問、人間から見れば、「罪が赦された」と言う方が易しいですね。なぜなら、「起きて歩け」と言って、病人が歩けなければ、嘘つきになりますが、罪の赦しは、結果が見えないので、言うだけで済むからです。では続きを見てしまいましょう。

【マルコの福音書2:112

2:10 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。それで皆は驚き、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめた。

人となって来られたキリストは、ご自分を「人の子」と呼んで、人には難しい病の癒しを、言葉だけでやってのけました。それが、「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」です。すると彼は起き上がって、寝床を担いで、出て行ったというのです。

このことを通して、キリストは、難しい、病の癒しが出来たのだから、易しい、罪の赦しも、当然私は出来るのですよ、と、彼らに教えたのです。この教え方、大きいことが出来るなら、当然小さいことも出来るといった、ユダヤ的な教授法なのですね。なので、この論法だと、イエス・キリストは、言葉で病を癒したのだから、当然、言葉で罪も赦せる方だ、そして、罪を赦せる方は神だけなのだから、イエス・キリストは神だ、という結論になるのです。

そこで、その場にいた人たちは皆驚いて、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめたとあります。この場面、マタイは、

【マタイの福音書9:8

群衆はそれを見て恐ろしくなり、このような権威を人にお与えになった神をあがめた。

と記録しています。なので、一般の群集でさえ、少なくとも、キリストは、神から罪を赦す権威を与えられた方だ、と悟ることが出来たのです。

では、宗教指導者たちはどう判断したのでしょうね?今日の聖書箇所には、そこまでは記録がありません。但し、今回のような場合、彼らは先ず、相手の動向を観察して、何らかの対応が必要なら、今度は相手を質問攻めにし、最後に判定を下す、といった手順を踏んでいくのです。

従って、この時は観察だけで帰ったと考えられますが、残念ながら彼らは、キリストの権威を認めず、やがて殺してしまおうと動きはじめるのです。なので、このエピソードを境に、キリストと宗教指導者たちの摩擦が表面化していくことになるのです。

では今日の結論です。

聖書が語る「罪」ってなに?

このエピソードを通して、聖書が私たちに教えようとしていることは、イエス・キリストには、罪を赦す権威がある、ということです。

でも、罪の赦しと聞いても、多くの人はピンと来ないのではないでしょうか?そもそも、私たちの罪ってなんなのでしょう?そこでこの機会に、罪とはなにか?を簡単に纏めたいと思います。

聖書が教える「罪」をひと言で表現すると、それは「的外れ」を意味しています。なので、私たちが罪を持っている、とは、私たちが的を外した生き方をしている、ということになるのです。

例えば、私たちが、目の前の目標に向かって歩くとき、私たちはそこから目を離さなければ、たどり着くことが出来ますね。けれども、目標を見失ったり、目を背けたり、或いは、そもそも目標なく歩き続けたら、たどり着けるでしょうか。たどり着けません。

聖書は、今の私たちがまさにその状態だ、といっているのです。具体的には、私たち人間は皆、神との関係が絶たれた状態で生きているので、神を見失っていたり、神から目を背けていたり、或いは、そもそも神などいないと信じて歩き続けているというのです。この状態で、神との関係を持つことが出来るでしょうか。出来ません。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」

ゆえに、聖書の中で、キリストがこう宣言されるのです。

【ヨハネの福音書14:6

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」

ここで言われている「父」とは、三位一体の父なる神のことであって、この言葉を語っているのが子なる神、イエスキリストです。なので、キリストという道を通ることによって、私たちは、父なる神のもとに行くことができると語られているわけです。

この言葉が腹落ちすると、今日のエピソードの言わんとしていることがわかってきます。すなわち、私たちは、「わたしが道だ」と言っているキリストに方向を転換することで、キリストが、それまで的を外していた私たちを赦し、父なる神のもとへといざなってくれるというのです。

その事例として挙げられたのが、今日の5人です。彼らはイエス・キリストこそ救い主だと信じて、穴まであけて、キリストのもとにやって来ました。その信仰をキリストが見抜いて、キリストは、「あなたの罪は赦された」と宣言しました。結果として彼らは、信仰によって救われた上に、神にとってはより易しい、病人の癒しまでかなえられたのです。これが、今日のエピソードの本質です。

さあ、私たちも、私たちの罪を赦す権威をお持ちの、イエス・キリストに方向を転換して、歩もうではありませんか。この決断をされるなら、キリストはその時、「あなたの罪は赦された」と宣言してくださいます。

(2023.4.30)

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