【キリストの足跡をたどる】039_柔和な者は幸い?

柔和な者は幸い?

【聖書】マタイの福音書5:3~5:10 
●柔和な者は幸い? 
●柔和な者は地を受け継ぐ? 

このところ、「山上の説教」と呼ばれる、キリストが語られた一連のメッセージの中から、「八福の教え」という8つの言葉を紐解いています。これは、キリストを救い主と信じた人たちに対して、キリストが、信じた人に徐々に備わっていく特徴を挙げて、そんな彼らの幸いを約束している、励ましの言葉です。ではまず、全体を読んでみましょう。

【マタイの福音書5:3~5:10
5:3
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。

5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。

5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。

5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。

5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

今日はこの中の3つ目の言葉を味わいます。

柔和な者は幸い?

【マタイの福音書5:5
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。

「柔和な者」と聞いて、皆さんはどんな人を思い浮かべるでしょうか?「柔和」という言葉を調べると、やさしい、とか、おだやか、或いは、おとなしい、ものやわらかな性質や態度、といった表現が並びます。また、共同訳聖書は、この部分を、「へりくだった人々」と訳しています。では、キリストはどんな人のことを「柔和な者」、或いは、「へりくだった人々」と言っているのでしょう?実は、旧約聖書の中では、モーセという人が、「柔和な者」「謙遜」な人として紹介されています。こうあります。

▶モーセ

【旧約聖書・民数記12:3

モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。

このモーセという人は、かつてイスラエル民族がエジプトで奴隷生活を強いられていた時に、彼らを率いてエジプトから脱出したという、ヒーローのような人物です。でも彼は、はじめから「柔和」だったわけではありません。

大雑把に言えば、モーセは若かった頃、奴隷だったイスラエル民族を自力で救おうとしましたが、挫折を味わい、一度は人々の前から逃げるように姿を消してしまいます。そんな彼に転機が訪れ、やがて彼は、自分の力によらず、神に全幅の信頼を置いて歩むようになります。そこで神は、年老いたモーセを再びイスラエル民族のもとに遣わし、神がモーセを用いることで、人々が奴隷状態から救い出される、という大事業が成し遂げられていくのです。それが、海が割れるシーンが映画にもなった、「出エジプト」と呼ばれる出来事です。

従って、モーセは、自分の力ではなく、神に全幅の信頼を置いて、ただ神の前にへりくだる生涯を歩んだ結果、「地の上のだれにもまさって柔和であった」と評される人物となったのです。

そんな「柔和な者」を、旧約から転じて新約聖書から捜すなら、その最たる人は、言うまでもなく、イエス・キリストです。キリストが語った言葉の中に、こうあります。

▶イエス・キリスト

【マタイの福音書11:28~30

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

「わたしは心が柔和でへりくだっているから」ときました。この言葉、語っているのはキリストご自身です。となると、なあんだ、自分で自分のことを言ってるなら、それはうぬぼれじゃないか、と感じる人がいるかもしれませんね。

でも、私たちが弁えておくべきは、キリストは、三位一体の子なる神であったにもかかわらず、人となってこの世界に来られてからは、自分の力によらず、ただ父なる神に全幅の信頼を置いて生涯を送られた、という事実です。具体的には、キリストは、ご自身が「神」であることを制限されて、私たちと同じ弱さを持つ「人」の立場にまでへりくだり、「人」が経験する、様々な苦しみや悲しみを味わわれた、というわけです。そのことを、聖書はこう言っています。

【ペテロの手紙 第一2:21~23

キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

この中の、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった」という姿勢が、聖書が示す「柔和な者」のあり方をよく表しています。

すなわち、聖書が示す「柔和な者」とは、ただ単純に、やさしく、おだやかで、おとなしそうな人を指しているのではありません。そうではなくて、「正しくさばかれる方にお任せになった」とあるとおり、神の前にへりくだり、その公正な裁きに信頼しているからこそ、ののしられたり、苦しめられても、動じることなく、「柔和」でいられる、というわけです。そしてその土台は、その人が持っている、キリストの十字架によって、わが身の罪が赦され、救われ続けているという、「心の平安」にあるのです。

なので、キリストが語る「柔和」とは、人が努力して身につけられるようなものではありません。この「柔和」は、キリストを救い主と信じてはじめて得られる、「神との平和」、言い換えれば、見えない神との信頼関係を土台にして築かれるものなのです。

柔和な者は地を受け継ぐ?

そして、そんな「柔和な者」を、キリストは、「幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と喜び、励ましてくれています。とはいえ、「地を受け継ぐ」と言われても、現実の世界を見渡せば、聖書の言う「柔和な者」が地を受け継いでいる、とは言い難いですよね。となると、このキリストの言葉は、どこか現実離れした、夢物語のように聞こえないでしょうか。

でも、聖書は一貫して、「柔和な者」、すなわち、キリストを救い主と信じて柔和になった人々が、やがて「地を受け継ぐ」ことになる、と宣言しています。たとえば、こんな言葉があります。

【ローマ人への手紙8:14,17

8:14 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。

8:17 子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

冒頭の「神の御霊に導かれる人」とは、キリストを救い主と信じている人のことです。その人たちは「神の子ども」であり、必然的に「神の相続人」だというのですね。そして更に、「キリストとともに共同相続人」なのだとあります。なんかすごい話になってきました。では、一体何を相続するのでしょう。それは、キリストが宣べ伝えていた、

【マルコの福音書1:15

「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

という言葉がその答えです。すなわちキリストは、やがて「神の国」が実現したら、キリストを信じた人たちが、キリストと共に、「神の国」、すなわち「神が私たちを治め、いつも共にいてくださる状態」を相続することになるのだ、ということを言っているわけです。それを預言した、【ヨハネの黙示録】の言葉をご紹介します。

【ヨハネの黙示録21:6~7

「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。」

この言葉、この前後の文脈によれば、キリストを信じた人たちが、永遠に続く新しい世界を相続することを宣言しているのです。

多くの人は、聖書に書かれたこのような未来の預言は、信じられないかもしれません。けれども、聖書の預言は、これまでことごとく成就していることを忘れてはなりません。ゆえに、聖書に真摯に向き合うなら、自ずとこれらの言葉が信頼に値し、必ずその通りになると確信できるのです。そしてこの聖書が、私たちに永遠の命と、神が共にいる新しい世界の相続権を約束してくれているのです。これが、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」という言葉の内実です。

従って、今日、ぜひお勧めしたいことは、あなたが、目に見える目先の物を相続できるか否かを問う前に、先ずキリストこそ、あなたに本当の「幸い」を与えてくださる、救い主であると信じて、全幅の信頼を置かれることです。

すなわち、あなたが神に立ち返り、人となってこの世に来られたキリストが、あなたの罪を贖うために、十字架で死んで、葬られ、よみがえられたことを信じるなら、あなたは、徐々に、キリストに似た、「柔和な者」へと変えられていきます。聖書にこうあります。

【コリント人への手紙 第二 3:16,18

3:16 しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。

3:18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

ここで出て来る主とは神のことなので、この言葉、簡単に言えば、私たちが神と向き合うことによって、私たち自身が、まるで鏡のように、神に似た者となっていくことを約束してくれているのです。そして、気がつけば、ののしりや苦しみをはじめ、どのような事態に直面しても泰然としていられるほどに、「柔和な者」へと変えられていくのです。それは決して自力で出来るものではなく、すべて神がそうしてくださるのです。そんな人をキリストが、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」と励ましておられるのです。

さあ、そこで私たちも、自分の力によらす、ただ神に全幅の信頼を置いて、「柔和な者」へと作り変えて頂こうではありませんか。そして将来、「その人たちは地を受け継ぐからです。」という言葉が実現したとき、共にその「幸い」を喜び合いたいと願っています。

(2023.10.30)

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