【キリストの足跡をたどる】040_義に飢え渇く者は幸い?

義に飢え渇く者は幸い?

【聖書】マタイの福音書5:3~5:10 
●神との関係における4つの特徴 
●心の貧しい者 
●悲しむ者 
●柔和な者 
●義に飢え渇く者 
●まとめ 

ここ暫く、キリストが語られた、「八福の教え」と呼ばれる8つの言葉を紐解いています。この教えは、キリストを救い主と信じた人たちに対して、キリストが、信じた人に徐々に備わっていく特徴を挙げて、そんな彼らの幸いを約束している、励ましの言葉です。では今日もまず、全体を読んでみます。

【マタイの福音書5:3~5:10
5:3
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。

5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。

5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。

5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。

5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

神との関係における4つの特徴

これまで、順番に、「心の貧しい者」、「悲しむ者」、「柔和な者」を概観してきました。今日は、「義に飢え渇く者」がテーマです。

実は、もうお気づきかもしれませんが、今日のテーマも含め、これまでの3つは、特に、信じた人と神との関係、すなわち、私たちがキリストを救い主と信じると、これから神との関係において、私たちがどうなっていくのか、を教えたものでした。具体的には、私たちは、個人差はあっても、徐々に、神との関係において、心が貧しく、悲しみ、柔和になり、義に飢え渇くようになる、というわけです。そして、この4つには、互いに密接な関連性があるんです。

そこで今日は、おさらいも兼ねて、これまでの3つをざっと振り返った上で、4つ目となる、

【マタイの福音書5:6
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

という言葉を、これまでのまとめとして、味わってまいります。では、おさらいのその1です。

心の貧しい者

「心の貧しい者」とは、私たちが決して他人事とか、絵空事とはとらえずに、私たちが神を前にした時、自分がいかに罪深いかを悟り、神の前でへりくだった人のことでした。そんな人たちにキリストは、「天の御国はその人たちのものだ」と言われたのですね。この言葉、聖書全体から解釈するなら、キリストが、信じた人に、永遠の救いを約束した言葉だとわかります。

そこで、基本的なことをおさらいしますが、聖書は、人は誰もが罪を持っているので、神の「正義」、すなわち「神の義」の前では、本当に罪のない、真に正しいと言える人間など、一人もいないのだ、と断言しています。それを言い表したのが、

【ローマ人への手紙3:10
「義人はいない。一人もいない。」

という聖書の言葉です。けれども神は、正義の規範となる「義の神」であると同時に、私たちを愛する「愛の神」でもあるので、神の目からは罪がある私たちが、裁かれて滅ぶことを、決して望んでいるわけではありません。そこで神は、神自ら、私たちの罪を肩代わりして、神ご自身が裁かれることで、私たちの罪を赦そうという、とんでもないことを計画されました。そのために、神が人となってこの世に来られたのが、イエス・キリストです。

そして、キリストが十字架に架けられ、死んで、葬られ、三日目によみがえったとき、私たちを罪の裁きから救い出すという、神の計画が実現しました。この事実によって、私たちには今、キリストが私たちの罪のために、代わりに死んで、葬られ、よみがえられたことを信じることで、私たちが持っている罪が赦され、神の裁きを免れるという、救いの道が開かれたのです。

従って今、神があなたに促していることは、あなたがこの神の愛に背を向けるのではなく、あなたを救うために死なれた神であるキリストを救い主と信じて、神と共に歩むよう、神に向かって方向を転換することです。この方向転換のことを、「悔い改め」と言うのです。

これについて、もしあなたが、すでに歳をとりすぎたとか、或いは、今まで犯した沢山の罪を前に、もう遅い、なにを今更、と思っておられるとしたら、なお速やかに、キリストを救い主と信じて、神と正面から向き合うことを、強くお勧めします。神にあっては、手遅れも、不可能もありません。

それを示す例として、キリストと共に十字架に架けられた死刑囚でさえ、死ぬ寸前に、自分の罪深さに気付いてキリストにすがった時、キリストは彼に、「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束をされました。これが、「八福の教え」の1つ目、「心の貧しい者」に与えられる、「天の御国はその人たちのものだ」という、「幸い」の真髄です。

では、おさらいの2つ目です。

悲しむ者

「悲しむ者」とは、キリストを信じた後も、折に触れ、相変わらず自分が罪深いことに気付いて、悲しみを覚える人のことでした。でも、人には生まれた時から罪の根があるので、救われたからといって、その瞬間から、罪を犯さなくなるとか、全く罪がない人になれるわけではありません。なので、信じた後、罪に敏感になり、時として悲しみを抱くのは、むしろ健全なことで、それはその人が、既に救われている証拠なのです。

そこで、そんな「悲しむ者」に、キリストは、「その人たちは慰められる」と言っています。なぜなら、私たちが神であるキリストを救い主と信じたとき、キリストは私たちに、「天の御国はあなたのものだ」と約束されたのですよね。この約束は、聖書全体から解釈するなら、「永遠の救い」の約束に他なりません。従って私たちは、再び罪による悲しみを覚えても、キリストによって、今もなお、救われ続けていることを悟るのです。

なので私たちは、一度信じて救われたのなら、いつまでも悲しむ必要はありません。それほどまでに、キリストによる救いは確かであり、その救いは今も、そしてこの先も有効です。これが2つ目の、「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」という言葉の裏付けです。

では、おさらいの3つ目です。

柔和な者

「柔和な者」とは、キリストを信じた人が、神に全幅の信頼を置いているゆえに、人の評価に動じず、柔和でいられる人のことでした。なので、聖書が語る「柔和」とは、人が努力して身につけられるものではありません。

繰り返しとなりますが、私たちが自分の罪深さを悟って、キリストにすがった時、キリストが天の御国を約束してくださったので、私たちは、再び自分の罪深さに悲しんでも、慰めを得られるのでしたね。それは、神が共にいてくださるという、大局的な意味での安心から来るのであり、私たちはもう、小さなことでくよくよする必要はなくなるのです。

こうして私たちが、神と共に歩んでいると、実は私たちは、知らず知らずのうちに、キリストに似た者に変えられていくと、聖書は言っているんです。それが、「柔和な者」への変化です。そのような人を、キリストが「幸いだ」と喜び、「やがて神の国を相続するようになるよ」と約束しているのが、3つ目の、 「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」という言葉です。

義に飢え渇く者

では、おさらいはこのぐらいにして、いよいよ、今日のテーマである、「義に飢え渇く者」について、紐解いていきます。

【マタイの福音書5:6
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

これまでの言葉を通して、私たちは、キリストを信じて救われたのなら、その後も救われ続け、キリストに似た者へと変えられていくことを知りました。そこで先ず、それを衣服に例えて説明している、聖書の言葉をご紹介しておきます。

【コロサイ人への手紙3:9~10

あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。

この言葉によれば、キリストを信じたなら、私たちが、「新しい人」となり、「それを造られた方」すなわち、神のかたちにしたがって、私たちは、「新しくされ続け」るのだ、というのですね。その過程で起こる変化の一つが、「義に飢え渇く」ということです。

なぜなら、神は、「愛の神」であると共に、私たちの規範となる「義の神」でもあるので、私たちが新しくされ続けていけば、自然に、神の義を体現したいと渇望するようになるからです。このような人をキリストは、「義に飢え渇く者」と呼んで、「あなたはやがて満ち足りるようになるよ」というのです。

それでは、いつ私たちは「満ち足りる」のでしょう。それは、キリストが言っていた「天の御国」、すなわち「神の国」が実現するとき、言い換えれば、「神が私たちを治め、いつも共にいてくださる状態」が実現したときです。そうなれば、私たちはもう、不義を憂うことはありません。これが、「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」という言葉の内実です。

まとめ

以上、「八福の教え」の前半から、私たちがキリストを信じるとどうなるかを紐解いてきました。それによれば、私たちは、神との関係において、心が貧しく、そして悲しみ、柔和になり、義に飢え渇くようになる、ということでした。これらのことはみな、私たちがキリストによって救われた後も、救われ続け、キリストに似た者となっていく過程で起こることでした。

その結果、私たちの悲しみが慰められ、やがて地を受け継ぎ、義に満ち足りるようになるよと、キリストは約束されました。この土台にあるのが、「天の御国はあなたのものだ」という言葉に裏打ちされた、信じた者への「永遠の救い」の保証です。この「永遠の救い」に与った人たちのことを、キリストは「幸いだ」と喜んでおられるのです。

さあ、そこで、この「幸い」を、ぜひあなたも、ご自分のものとしようではありませんか。そのために、まずは、キリストがあなたの罪のために、死んで、葬られ、よみがえられたことを信じて、あなたが「永遠の救い」に与りますよう、速やかに方向を転換されることをお勧めします。

(2023.11.15)

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