【キリストの足跡をたどる】058_岩の上に土台を据える?

岩の上に土台を据える?

【聖書】マタイの福音書7:24~29 
●家を建てる人のたとえ 
●二人の人が建てた家 
●権威ある教え 
●「山上の説教」のまとめ 

【マタイの福音書7:24~29

7:24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。

7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。

7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。

7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」

7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。

7:29 イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。

長らく紐解いてきた「山上の説教」も、今日が最後となりました。では早速、今日の聖書箇所を読んでいきましょう。

家を建てる人のたとえ

【マタイの福音書7:24~29

7:24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。

7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」

冒頭に「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて」とありますね。ということは、今日の内容は、直前でキリストが語っていた言葉、引いては、これまでキリストが語ってきた「山上の説教」全体を受けた話だとわかります。そこで先ず、直前で話されていた内容を、簡単におさらいしておきましょう。

それによれば、キリストは、当時の人々の前に、「いのちに至る狭い門」と「滅びに至る大きい門」とがあって、そのうちの「狭い門」から入るよう促しておられました。なぜなら、この「狭い門」こそ、「キリストを救い主と信じる」ということで、それは、「天の御国」につながる「細い道」を通ることを意味するからでした。

ということは、「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者」とは、少なくとも、キリストを救い主と信じた人のことで、それを行う者とは、キリストがこの「山上の説教」を通して教えたことを、自分の生活に反映していく人のことだとわかります。より簡単に言えば、「キリストを救い主と信じて従う人」と言えますね。そのような人は、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」に例えられると言うのです。

一方で、「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者」とは、文脈から読み取るなら、「広い道」を通って「大きな門」から入る人たちだとわかります。でもこの「大きな門」は、「滅びに至る門」なので、残念ながらその先に「天の御国」はありません。

加えてキリストは、「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではない」などと警告していましたね。これらの人たちは、キリストを「主」と呼びながらも、実態は、外面的に持ち上げているだけだったり、キリストを都合よく利用する類の人たちでした。そのような人たちを、キリストは拒絶するというのです。

なのでキリストは、キリストの話を聞いても信じようとしない、当時の多くの人のことを、イザヤという預言者の言葉を引用して、こう言っています。

【マタイの福音書13:13~15

わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らが見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、悟ることもしないからです。こうしてイザヤの告げた預言が、彼らにおいて実現したのです。「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。・・・」

というわけで、「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者」とは、キリストのことを見聞きしても信じなかったり、信じているように見えても、実態はキリストに従わない人々のことだとわかります。そのような人は、「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」に例えられると言うのです。

二人の人が建てた家

さて、キリストは、このような二種類の人の違いについて、彼らが家を建てる時、どこに基礎を据えるかに例えています。すなわち、「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者」、言い換えれば「キリストを救い主と信じて従う人」は、岩の上に土台を据える人だと言うのです。

実は、聖書の中で「岩」と出てきたら、多くの場合、それは「神」や「キリスト」あるいは、それを拠り所とする「信仰」を表します。例えば、旧約聖書にこんな詩があります。

【旧約聖書・詩篇62:1~2

私のたましいは黙って ただ神を待ち望む。

私の救いは神から来る。

神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。

私は決して揺るがされない。

この言葉は、旧約聖書の中でも大変有名な詩文です。なので、キリストが「岩の上に土台を据える」と言った時、これを聞いていた当時の人々は皆、ピンときたはずです。すなわち、キリストこそ主なる神である救い主だと信じる、信仰を土台とするなら、逆境が来ても揺るがないというわけです。それが、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」、すなわち、キリストを救い主と信じて従う人の特徴です。

一方で、「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者」、単刀直入に言えば「キリストを救い主と信じない人」は、砂の上に自分の家を建てているようなものだと言います。なので、そのような家は、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまい」「その倒れ方はひどい」のだと警告するのです。

この描写も、恐らく当時の人々はピンと来たはずです。実は、ユダヤ地方の低地には、普段は水が流れていない、「ワジ」と呼ばれる「水なし川」が沢山あるのですね。ところが、山の上で雨が降ると一気に水かさが増し、砂地だった「ワジ」が、濁流で洪水のようになるのです。そんなところに家を建てたら、ひとたまりもありませんね。それが実は、キリストを救い主と信じない人の姿だというわけです。

なので、キリストは当時の人々がイメージしやすい例を用いて、人々が滅びに至らないよう、「いのちに至る狭い門」から入ることを促したのです。これが結論です。

権威ある教え

以上をもって、キリストは一連の「山上の説教」を語り終えました。それに対する群集の反応が、これから読む、今日の最後の部分です。

【マタイの福音書7:24~29

7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。

キリストの「山上の説教」を聞いていた人々は、一様にその教えに驚いたようですね。ちなみに、当時の律法学者たちの教えは、ラビと呼ばれる昔の教師たちの論評を引用して、それに持論を加えるのが一般的だったようです。ところがキリストは違いました。

キリストは、聖書に書かれた「律法」について、キリストを救い主と信じた人がどう理解し、彼らがどのように生きていけばよいのか、神の目線に立ちつつ、人々に分かりやすく教えていました。すなわち、人間の解釈によらず、「律法」を授けた父なる神の意図をありのままに伝えたのが、この「山上の説教」です。それを示す、こんな言葉があります。

【ヨハネの福音書7:16

「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものです。だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが神から出たものなのか、わたしが自分から語っているのかが分かります。」

ここでキリストが「神」と言っているのは、キリストを遣わした天の父なる神のことです。なのでキリストは、父なる神の意図をそのまま伝えているゆえに、その教えに権威があり、キリストを救い主と信じて従う人が聞けば、それが神から出たものと分かるはずだ、というわけです。

「山上の説教」のまとめ

以上のことから、キリストが語ったこの「山上の説教」は、権威ある神の言葉そのものであることが明らかになりました。そこで、この「山上の説教」を読み終えるにあたり、これまでの教えの中で、特に大切な言葉を幾つか、簡単におさらいしておきたいと思います。まず一つ目は、この教えです。

【マタイの福音書5:20

あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

この言葉は、文脈を無視すると理解を間違えます。結論だけ申し上げれば、キリストは、宗教指導者たちより努力しなければ「天の御国」に入れないと教えているのではありません。そうではなくて、人は努力によっては決して救われず、あくまでも信仰と恵みによって救われることを伝えているのが、ここでの教えです。では二つ目です。

【マタイの福音書6:33

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

この言葉は、私たちがキリストを救い主と信じたなら、「まず神の国と神の義を求めなさい」ということでした。そうすれば、私たちの必要は神がすべてご存知なので、明日のことまで心配するには及ばないということでした。では三つ目です。

【マタイの福音書7:12

人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。

これは、「聖書の黄金律」と呼ばれる教えです。この言葉にも文脈があって、まず神が、私たちを愛しておられるのだから、私たちも神を愛すると同時に、神が私たちを愛してくださったように、私たちも隣人を自分のように愛しなさい、という、聖書で最も大事な戒めがベースにあることを忘れてはいけません。

こうした教えのとおり、「山上の説教」は、キリストを救い主と信じた人に語られた、励ましの言葉です。そこであなたも、この機会に、ぜひキリストを救い主と信じて、共に「天の御国」に入ろうではありませんか。それが、逆境にも揺るがない、岩の上に土台を据える人の生涯です。

(2024.8.15)

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