062_信仰があなたを救う?
【ルカの福音書7:36~50】
7:36 さて、あるパリサイ人が一緒に食事をしたいとイエスを招いたので、イエスはそのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると見よ。その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。
7:38 そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と心の中で思っていた。
7:40 するとイエスは彼に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがあります」と言われた。シモンは、「先生、お話しください」と言った。
7:41 「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。
7:42 彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」
7:43 シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われた。
7:44 それから彼女の方を向き、シモンに言われた。「この人を見ましたか。わたしがあなたの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。
7:45 あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は、わたしが入って来たときから、わたしの足に口づけしてやめませんでした。
7:46 あなたはわたしの頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、彼女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
7:47 ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
7:48 そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
7:49 すると、ともに食卓に着いていた人たちは、自分たちの間で言い始めた。「罪を赦すことさえするこの人は、いったいだれなのか。」
7:50 イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
今日は、キリストが、神にしかできない、罪の赦しを宣言した出来事を追いかけます。
罪深い女の行為
【ルカの福音書7:36~50】
7:36 さて、あるパリサイ人が一緒に食事をしたいとイエスを招いたので、イエスはそのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
「あるパリサイ人」がキリストを食事に招きました。ただし当時、パリサイ人と呼ばれる人たちの多くは、イエス・キリストを救い主だとは信じていません。なので、後になって、この人はキリストを歓待する気などなかったことが明らかになります。こうした中、予期せぬこんなことが起こります。
【ルカの福音書7:36~50】
7:37 すると見よ。その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。
実は当時、このような会食を催す際は、客人として招かれた人の貴重な話を、多くの人が聞けるよう、傍聴を許されることがありました。なのでこの時は、キリストの話を聞こうと、ギャラリーが食卓の周りを囲んでいたわけです。そんな場所に「一人の罪深い女」が現れました。この「罪深い女」とは、娼婦の類を指す婉曲語です。となると、ちょっと場違いな雰囲気が漂いますね。さあ、どうなるんでしょう。
【ルカの福音書7:36~50】
7:38 そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と心の中で思っていた。
異様な展開となりました。「罪深い女」が「うしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った」というのです。
ただしこの場面、私たちが思い浮かべる食卓とはちょっと違います。というのは、当時の食卓は、イスに座るのではなく、広間に足を投げ出して、左腕で上半身を起こし、右手で飲み食いするのが食事のスタイルでした。なので、よく見かける、キリストがイスに座って食事をしている宗教画は、実は正確ではありません。
というわけで、この女性は、キリストが横たえていた足を涙でぬらし、自分の髪でそれをぬぐい、足に接吻して香油を塗ったわけです。この展開、今の私たちは「なんで?」と思いますよね。この点、後でその意味がわかってきます。
これを見た家の主人は、イエス・キリストが「もし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と思ったんですね。そこで、この心のうちを見抜いたキリストが、切り出します。
罪の赦し
【ルカの福音書7:36~50】
7:40 するとイエスは彼に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがあります」と言われた。シモンは、「先生、お話しください」と言った。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」
さあ、キリストがたとえ話をはじめました。二人の人が借金をして、返せなくなったら、金貸しは二人の借金を帳消しにしてくれた、この場合、沢山借りていた人と、そうでもない人とでは、どっちがより深く感謝するだろうか、といった問いかけです。さあ、ここで名前が明らかとなった、シモンと呼ばれる家の主人はどう答えたでしょう。
【ルカの福音書7:36~50】
7:43 シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われた。
よかったですね。シモンが、「より多くを帳消しにしてもらったほうだ」と答えたら、キリストが、「あなたの判断は正しい」と褒めています。ところが、ここからキリストが巻き返します。
【ルカの福音書7:36~50】
7:44 それから彼女の方を向き、シモンに言われた。「この人を見ましたか。わたしがあなたの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は、わたしが入って来たときから、わたしの足に口づけしてやめませんでした。あなたはわたしの頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、彼女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
さあ、思わぬ展開になりました。キリストは、シモンというパリサイ人との比較において、食事に招いた彼ではなく、「罪深い女」を褒めたのです。なぜなら、当時、客人を迎える時は、接吻をもって出迎え、歩いて来て汚れた足を洗い、油を塗ってあげることが、歓迎のしるしだったからです。
ところが、このシモンという人は、自らキリストを招いておきながら、それらを一切しませんでした。すなわち、はじめからこのイエスという男など、救い主であるはずもなく、歓迎するには及ばない、どんな奴か見てやろうと、内心では見下していたのです。
一方で、「罪深い女」と呼ばれた女性は、シモンがしなかったことを、自らの身をもって行いました。これは、彼女が出来る精一杯の歓迎と感謝の現れであると共に、この方こそ私の救い主だと信じる、紛れもない信仰の現れです。それが、キリストが語った続きの言葉でわかります。こう言っています。
【ルカの福音書7:36~50】
7:47 ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
この言葉、よりニュアンスが伝わるよう、別な聖書では、
【ルカによる福音書7:47】 ※共同訳
この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさでわかる。
と訳されています。従ってこの女性は、イエス・キリストの噂を聞いて、この方こそ自分を救ってくださる救い主だと信じたので、人目もはばからずに、泣いてキリストの足をぬらし、自分の髪でそれをぬぐい、口づけすることが出来たのです。これを受けて、キリストがこう宣言します。
【ルカの福音書7:36~50】
7:48 そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
「あなたの罪は赦されています」これはものすごく厳かな宣言です。なぜなら、人の罪を本当に赦すことは、神にしかできないからです。それをキリストが言ったということは、実は、キリストが「自分は神だ」と宣言したのと同じことなのですね。なので、これを聞いた人たちがざわつき始めます。
【ルカの福音書7:36~50】
7:49 すると、ともに食卓に着いていた人たちは、自分たちの間で言い始めた。「罪を赦すことさえするこの人は、いったいだれなのか。」イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
人々が、「こいつは一体何者なんだ」と騒いでいますね。なぜなら、罪の赦しを宣言したキリストが、もしただの人に過ぎなかったら、神を冒涜したことになるからです。
ところがキリストは、重ねてこの女性に、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」と宣言しました。このキリストによる救いの宣言は、神による無罪判決とイコールです。これが、今日のエピソードの全貌です。
あなたの信仰があなたを救う
さあ、今日の聖書箇所で注目したいのは、キリストが「罪深い女」に語った、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」という言葉です。すなわち、私たちは、どんなに罪深くても、信仰によって救われる、ということです。繰り返します。私たちは、どんなに罪深くても、行いによるのではなく、信仰によって救われるのです。
このことは、キリストが語っていた、多くの借金を帳消しにしてもらった人のたとえからも明白です。このたとえから、「罪深い女」も、信仰によって多くの罪を赦されたので、人目もはばからずに、キリストの前で多くの愛を示したことを伝えたのです。それが、「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさでわかる。」と訳された、キリストの言葉です。
さあそこで、私たちはどうでしょう。聖書によれば、人は生まれながらにして罪を持っていて、罪のない人など一人もいないと言っています。ゆえに人は、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。この基準に立つなら、私たちも「罪深い女」と同じように、神の前では、罪の赦しが必要なお互いにほかなりません。
そこで、私たちの罪が赦されるよう、私たちの代わりに十字架で裁かれた方が、イエス・キリストです。ゆえに、このキリストの十字架の死が、私の罪を贖うためのものだったと信じるなら、あなたの罪は赦され、あなたは救われるのです。今こそ、信じようではありませんか。信じたなら、キリストは即、あなたにこう宣言してくれます。
【ルカの福音書7:36~50】
7:50 「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
(2024.10.15)
