【キリストの足跡をたどる】064_救い主の証拠とは?

064_救い主の証拠とは?

【聖書】マタイの福音書12:38~45
●しるしを求める人たち 
●ヨナのしるし 
●悔い改めたニネベの人々 
●地の果てから来た南の女王 
●初めよりも悪くなる 
●イスラエルのその後 
●見ずに信じる人は幸いです  

【マタイの福音書12:38~45

12:38 そのとき、律法学者、パリサイ人のうちの何人かがイエスに「先生、あなたからしるしを見せていただきたい」と言った。

12:39 しかし、イエスは答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。

12:40 ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

12:41 ニネベの人々が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。

12:42 南の女王が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし見なさい。ここにソロモンにまさるものがあります。

12:43 汚れた霊は人から出て行くと、水のない地をさまよって休み場を探します。でも見つからず、

12:44 『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は空いていて、掃除されてきちんと片付いています。

12:45 そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は初めよりも悪くなるのです。この悪い時代にも、そのようなことが起こります。」

前回、キリストが当時の人々から公に拒絶された、「ベルゼブル論争」と呼ばれる出来事が起こりました。今日はその続きです。

しるしを求める人たち

【マタイの福音書12:38~45

12:38 そのとき、律法学者、パリサイ人のうちの何人かがイエスに「先生、あなたからしるしを見せていただきたい」と言った。

さあ、宗教指導者たちから、あきれた言葉が飛び出しました。おさらいとなりますが、これまでキリストは、人々に様々な奇跡を見せて、ご自分が旧約聖書で予告されていた救い主であることを示してきました。そして前回、救い主でなければ出来ないと言われていた、「目が見えず、口も聞けない人」の癒やしをされたばかりでした。

ところが、宗教指導者たちはそれを「悪霊のかしらベルゼブルによったのだ」と断定し、イエス・キリストを公に拒絶したのです。にもかかわらず、彼らは再び「しるしを見せていただきたい」と詰め寄ってきました。言い換えれば、「救い主なら更に動かぬ証拠を見せろ」というわけですね。さあ、キリストはどう答えたのでしょう。

ヨナのしるし

【マタイの福音書12:38~45

12:39 しかし、イエスは答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

キリストがすごいことを言っています。まず、「悪い、姦淫の時代」と言っていますが、これは性的な意味ではなくて、当時の人々の宗教的な堕落を表した言葉です。なので、「堕落したこの時代の人たちに、これ以上、救い主の証拠は与えないが、預言者ヨナのしるしだけは与えよう」と言うのです。では、「預言者ヨナのしるし」とはなんでしょう。

それは、当時の人なら誰でも知っていた、旧約聖書の「ヨナ書」という書物の話が背景にあります。その内容は、昔、ヨナという預言者が船に乗ったら、遭難して、大魚に呑みこまれてしまったという話です。ところが、ヨナが魚の腹の中で神に祈ったら、三日後に魚の中から吐き出されたというのです。

この話のキモは、一度は死を味わったヨナが、三日目に生還したという、「ヨナの復活」です。なのでキリストは、「私が救い主だと誰もがわかるよう、『ヨナの復活』のような奇跡が起こる」と告げているのです。すなわちこれは、キリストが十字架に架かって死んで葬られた後、三日目によみがえるという、「キリストの復活」を今から予告していたのです。それが、「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです」という言葉です。そしてこれから、三つの話をとおして、当時の人々に警告を与えます。まず一つ目です。

悔い改めたニネベの人々

【マタイの福音書12:38~45

12:41 ニネベの人々が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。

この話も、先程のヨナのその後の働きが背景にあります。簡単に言えば、大魚の腹の中から復活したヨナが、ニネベという町で「堕落したこの町は滅びる」と警告したら、大勢の人がそれを聞いて、神の前に悔い改めたことが、「ヨナ書」に書かれているのです。

このように、ニネベの人々は、ヨナの話を聞いただけで悔い改めました。一方、イスラエルの人々は、ヨナにまさるイエス・キリストから、直接話や奇跡を見聞きしても、悔い改めませんでした。従って、神の裁きの日に、イスラエルの人々は、ニネベの人々から罪を問われるだろう、というわけです。そしてキリストは、旧約聖書から二つ目の話をします。

地の果てから来た南の女王

【マタイの福音書12:38~45

12:42 南の女王が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし見なさい。ここにソロモンにまさるものがあります。

このくだりは、かつてソロモンという知恵に満ちた王がイスラエルを統治していたとき、遠い南からシェバの女王と呼ばれる人が、噂だけを頼りに、ソロモンに会いに来たことが背景にあります。

このように、南の女王も、ソロモンの噂を聞いただけで、それを信じて遠くから来たのに、イスラエルの人々は、ソロモンにまさるイエス・キリストから、直接話や奇跡を見聞きしても信じませんでした。従って、神の裁きの日に、イスラエルの人々は、南の女王から罪を問われるだろう、というわけです。そして最後に、こんなたとえを語ります。

初めよりも悪くなる

【マタイの福音書12:38~45

12:43 汚れた霊は人から出て行くと、水のない地をさまよって休み場を探します。でも見つからず、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は空いていて、掃除されてきちんと片付いています。そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は初めよりも悪くなるのです。この悪い時代にも、そのようなことが起こります。」

このたとえも、当時の人々の状態を揶揄したものにほかなりません。簡単に言うと、キリストが人々の前に現れる少し前に、バプテスマのヨハネという預言者が、民衆に向かって、

【マタイの福音書3:2

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」

と叫んで、人々に改心を促していた時期がありました。その時、多くの人が悔い改めて、救い主を受け入れる心の準備が整えられていたのですね。その状態が、「汚れた霊」が人から出て行ったと言っている、このたとえの前半部分です。もう一度読んでみます。

【マタイの福音書12:38~45

12:43 汚れた霊は人から出て行くと、水のない地をさまよって休み場を探します。でも見つからず、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は空いていて、掃除されてきちんと片付いています。

この「家が空いていて、掃除されてきちんと片付いた状態」というのが、バプテスマのヨハネに応答して悔い改めた人々の心の状態でした。なので、その後彼らが、素直にイエス・キリストを救い主として受け入れれば、彼らはみな救われて、「神の国」が現実のものとなるはずだったのです。

ところが、宗教指導者たちが、イエス・キリストを救い主とは認めない判断を下したので、民衆もそれに倣い、多くの人はキリストを受け入れませんでした。ゆえに彼らの心の中は、空っぽのまま放置されたのです。そんな彼らを案じたのが、「汚れた霊」が戻ってくる、後半のくだりです。

【マタイの福音書12:38~45

12:45 そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は初めよりも悪くなるのです。この悪い時代にも、そのようなことが起こります。」

空っぽになった人の心に、再び悪い霊が入り込んで、その状態ははじめより悪くなるというのです。それを警告したのが、「この悪い時代にも、そのようなことが起こります。」という言葉です。これが、今日のキリストの言葉の全容です。

イスラエルのその後

さあ、当時の人々にとって、耳の痛い警告が続きましたが、彼らはその後どうなったのでしょう。それは、キリストの言葉通り、初めより悪い、過酷なものとなりました。

すなわち、イスラエルの人々は、国家的に、イエス・キリストを拒絶した挙句、十字架につけて殺してしまいます。そして、キリストが「ヨナの復活」の予告どおり、三日後に復活して、多くの人の前に現れても、民族的、国家的には、イエス・キリストを救い主と認めることはありませんでした。それは今でも続いています。

その結果、国家としてのイスラエルは、紀元70年にローマ帝国によって滅ぼされ、民族としてのユダヤ人は、ほぼ1900年間に亘って、世界中に離散してしまいました。かくして、「その人の最後の状態は初めよりも悪くなるのです。この悪い時代にも、そのようなことが起こります。」というキリストの言葉が現実となったのです。

見ずに信じる人は幸いです

さあ、今日のエピソードから、私たちはなにを学ぶでしょう。私たちは、当時のイスラエルの人々の判断を、他人事のように断罪出来るでしょうか。恐らく現代でも、多くの人は「神がいるなら証拠を見せろ、見たら信じてやる」と思っていないでしょうか。でもそれでは、当時の人々が「しるしを見せろ」と言って信じなかったのと同じです。

そんな人々にキリストは、「しるしは与えられないが、ヨナのしるしは別だ」と言いました。すなわち、キリストが十字架に架かって死んで葬られた後、三日後によみがえったという、復活の事実は、当時の人々のみならず、聖書を通して私たちにも同じように伝えられたのです。これが、全世界に与えられた、イエス・キリストが救い主であることを示す、最大の証拠です。それを信じるかどうかは、私たち次第です。

そこで、この話を聞いたあなたが、ニネベの人々や、南の女王にならって、見ずに信じる者となれば幸いだというのが、今日のキリストの促しです。それを言い表した、復活したキリストの言葉をご紹介して終わります。

【ヨハネの福音書20:29

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

(2024.11.15)

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