【キリストの足跡をたどる】069_神が人を成長させる?

069_神が人を成長させる?

【聖書】マルコの福音書4:26~29・マタイの福音書13:31~33 
●種のたとえ 
●からし種のたとえ 
●パン種のたとえ 
●神が私たちを成長させる 

【マルコの福音書4:26~29

4:26 またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、

4:27 夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。

4:28 地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。

4:29 実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」

【マタイの福音書13:31~33

13:31 イエスはまた、別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。

13:32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」

13:33 イエスはまた、別のたとえを彼らに話された。「天の御国はパン種に似ています。女の人がそれを取って三サトンの小麦粉の中に混ぜると、全体がふくらみます。」

このところ、キリストが語った一連のたとえを紐解いています。これらのたとえは、現代の私たちに関すること、すなわち、2000年前にキリストが天に上げられてから今に至るまで、キリストの福音が世界中に宣べ伝えられていく、キリスト教世界の有様を、預言的に教えたものです。それをキリストは、「天の御国の奥義」と呼んで、当時の人々にとって未来のことを、たとえを使って明かしたのでした。

そして前回まで、マタイの記録に従って、「種蒔きのたとえ」と「毒麦のたとえ」を紐解きました。今日はマルコが残した「種のたとえ」と、マタイから「からし種のたとえ」そして「パン種のたとえ」を取り上げます。まずは「種のたとえ」です。

種のたとえ

【マルコの福音書4:26~29

4:26 またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」

これまでのたとえは、キリストによる解き明かしがありましたが、このたとえ以降はそれがありません。なので私たちは、聖書の文脈に従って、自分でたとえを紐解く必要があります。

そこで、一連のたとえを整理すると、ここで「神の国」とか「天の御国」と出てきたら、それは、キリストが天に上げられてから広がった、キリスト教世界を指していましたね。「種」は、キリストがもたらす救いの良い知らせ、福音のことです。そして「地」は、私たちの心の状態を表わしていました。

なので、文脈に従えば、このたとえは、私たちの心のうちにキリストの福音が根付いたら、自然に芽が出て、自ずとその信仰が成長し、多くの実を結ぶことを言っているとわかります。更に、「どのようにしてそうなるのか、その人は知りません」とありますから、この成長は人によるのではなく、人知を超えた神の導きによってなるというわけです。

そして最後に、「実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです」とあります。これは、その人が一生を終えることではなくて、信じた人を通して福音が広がり、やがて神の定めた時が満ちることを、「収穫の時」と呼んでいるのです。

このことは、既に解き明かされた一連のたとえを見れば、よりクリアになります。すなわち、キリストの福音が世界中に宣べ伝えられ、偽物がはびこるほど成熟したある時点で、この世界が終わりを迎えるその日が「収穫の時」です。それは、信じない人にとっては裁きの日となりますが、信じる者にとっては、名実共に「神の国」で永遠に生きる者とされる、喜びの日にほかなりません。それが「収穫の時」が来たらすぐに鎌を入れます という言葉の真意です。

というわけで、私たちの心に、キリストの福音がしっかりと根を張ったなら、神が私たちを成長させてくださるというのが、この「種のたとえ」です。

からし種のたとえ

ただし、既に「毒麦のたとえ」でも示されたとおり、現代のキリスト教世界は、正しい教えと共に、誤った教えも共に育つのが特徴でした。なので、その様子を明かしたのが、次の「からし種のたとえ」です。ではそれを、マタイの記録から見ていきましょう。

【マタイの福音書13:31~33

13:31 イエスはまた、別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」

ここで出て来る「天の御国」は、先程マルコが言っていた「神の国」と同じです。これらが意味する現代のキリスト教世界は、当時「からし種」と呼ばれていた種に似ているというのです。なぜなら、その種はとても小さいのに、成長すると「どの野菜よりも大きくなって木と」なるからだというわけです。

ゆえにこのたとえは、小さな群れから大きく広がったキリスト教世界を、肯定的に描いたように見えますね。けれども最後に、「空の鳥が来て、その枝に巣を作るように」なるとあります。実はこの表現は、決して褒められたことではありません。

なぜなら、直前の「種蒔きのたとえ」では、道端に落ちた種を、鳥が来て食べてしまったとありました。それをマルコは、こう記録しています。

【マルコの福音書4:15

みことばが蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。

なんとここでは、「サタン」すなわち悪魔のことを、「鳥」にたとえていますね。従って、「空の鳥が来て、その枝に巣を作る」とは、キリスト教世界の中に、「サタン」も巣を作ると言っているわけです。なので、キリスト教世界に誤った教えが持ち込まれ、それがキリスト教の一角を占めるようになるというのが、この「からし種のたとえ」の内実です。

言われてみれば、今やキリスト教を名乗りながら、実態はキリスト教とは決して言えない、誤った教えや異端と呼ばれる団体が沢山あるのが現実です。すなわち、良い麦と共に毒麦も育つ「毒麦のたとえ」と同様の警告をしているのが、この「からし種のたとえ」です。では続いて「パン種のたとえ」です。

パン種のたとえ

【マタイの福音書13:31~33

13:33 イエスはまた、別のたとえを彼らに話された。「天の御国はパン種に似ています。女の人がそれを取って三サトンの小麦粉の中に混ぜると、全体がふくらみます。」

これもまた、キリスト教世界をパンにたとえた教えです。すなわち、当時「パン種」と呼ばれた、発酵した練り粉を小麦粉に混ぜると、全体が膨らんでパンになる様を、キリスト教世界の広がりに見立てたわけです。なのでこれも、良いことのように見えますね。

ところが、「パン種」を「小麦粉に混ぜる」とある「混ぜる」という言葉は、ギリシャ語では、「中にかくす」というニュアンスがあります。更に、キリストが語った他の例を見る限り、「パン種」は決して良い意味で使われているとは言えません。弟子たちとのこんなやり取りがあります。

【マタイの福音書16:11~12

「わたしが言ったのはパンのことではないと、どうして分からないのですか。パリサイ人たちとサドカイ人たちのパン種に用心しなさい。」そのとき彼らは、用心するようにとイエスが言われたのはパン種ではなく、パリサイ人とサドカイ人たちの教えであることを悟った。

ここで出て来る「パリサイ人とサドカイ人たちの教え」とは、聖書から外れた教えや偽善を意味します。それをキリストは「パン種」と呼んでいるんですね。なので、これを援用すると、キリスト教の中にも、誤った教えや偽善が入り込むことを、預言的に教えたものだとわかります。

そう言われると、キリスト教会は確かに、誤った教えや偽善をめぐって、分裂を繰り返してきました。そして今あるのが、 カソリック、プロテスタント、東方正教会という、大きな三つの流れです。それをキリストは、「三サトンの小麦粉」にたとえたのかもしれません。これが「パン種のたとえ」を通して示された、キリスト教が世界中に広がる有様です。では今日の結論です。

神が私たちを成長させる

今日の、特に後半二つのたとえは、キリスト教が、時に異端や誤った教え、そして偽善をはらみながら広がるというものでした。そして事実、その通りになったことを鑑みれば、そのことに幻滅を覚える人がいるかもしれません。

でも、そもそもこの話は、信じない人にではなく、信じた人に話したたとえです。従って、キリストは決して人々を落胆させようとしたのではありません。

そうではなくて、キリストはこれらのたとえを通して、私たち人間がどこまでも不完全で、誤りや偽善に陥りやすいので、そんな人間が織り成す世界や教会も、決して完全ではないことを前提とした上で、私たちが成長していくことを教えているのです。すなわち、私たちが不完全だからこそ、私たちを完全に救うことの出来るイエス・キリストを、素直に救い主と信じ続けて成長するよう促しているのが、これらのたとえの真意です。

そして、そんな私たちをキリストが救い続け、この世界の終わりの日に、私たちを完全な者にするというのが、聖書の約束です。それを実は、冒頭で紹介した「種のたとえ」が指し示していました。

すなわち、キリストの福音が私たちの心に根付いたら、自然に芽が出て成長し、多くの実を結んで収穫を迎えるというものでした。そして、それは全て神の導きによるというのです。そのことを教えた、こんな言葉があります。

【コリント人への手紙第一3:7

大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

ゆえに、たとえ世界や教会が不完全で、誤った教えや偽善が紛れ込んでも、そんな中で私たちを成長させてくださるのは、聖書が示す三位一体の神です。そこであなたも、不完全な私たちを救うため、三位一体の子なる神が人となってこの世に来られたイエス・キリストを、素直に救い主と信じて、成長させていただこうではありませんか。

(2025.1.30)

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