070_宝や真珠のたとえってなに?
【マタイの福音書13:44~46】
13:44 天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。
13:45 天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。
13:46 高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。
このところ、キリストが語った一連のたとえを紐解いています。これらのたとえは、現代の私たちに関すること、すなわち、キリストが天に上げられてから今に至る、キリスト教世界の有様を、預言的に教えたものです。それをキリストは、今まで明かされていなかった「天の御国の奥義」と呼んで、当時の人々にとって未来のことを、たとえを使って明かしたのでした。
今回は、マタイの記録から「畑に隠された宝のたとえ」と「高価な真珠のたとえ」を取り上げます。これら二つは対になっているので、まずは通して読んでみます。
二つのたとえの一般的な解釈
【マタイの福音書13:44~46】
13:44 天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。
キリストは今回、「天の御国」すなわち、キリストが天に上げられてから広がったキリスト教世界のことを、「畑に隠された宝」や「高価な真珠」、そしてそれを見つけた人や商人にたとえていますね。
まず、畑で宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておいて、持ち物全てを売り払ってお金を用意し、畑ごと買うといいます。これが一つ目の「畑に隠された宝」のたとえです。
一方、真珠を探している商人が、良い真珠を一つ見つけたら、この人も持ち物すべてを売り払ってお金を用意し、その真珠を買い付けるというわけです。これが二つ目の「高価な真珠」のたとえです。
いずれも、人が良いものを見つけたら、財産を投げ打ってでも手に入れるというお話です。なので、この宝や真珠は、キリストがもたらした福音のことで、その貴さに気付いたら、人はどんなことをしてでも手に入れようとする、と説明されることが多いのです。
でも、ちょっと待ってください。キリストの福音は、持ち物を売り払わなければ手に入らないようなものではありません。そんな努力や行いによるのではなく、キリストの死と埋葬、復活が、私たちの罪を贖うためだったと信じる、信仰と恵みによって救われる、というのが、福音の内容です。
ゆえに、人は努力によって救われるのではないことに加え、聖書全体から照らしてみれば、これらのたとえは、もっと別な意味を持っているとわかります。そこでもう一度、まずは「畑に隠された宝」のたとえから見ていきます。
畑に隠された宝とは?
【マタイの福音書13:44~46】
13:44 天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。
このたとえで注意すべきは、「宝」という言葉が象徴的に用いられたら、聖書では何を意味しているかということです。すると、旧約聖書で、こんな言葉が見つかります。
【旧約聖書・詩篇135:4】
主は ヤコブをご自分のために選び イスラエルを ご自分の宝として選ばれた。
【旧約聖書・申命記7:6】
あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。
これらが示すとおり、実は、聖書の中で「宝」という言葉が象徴的に使われたら、それは、私たちが好むと好まざるとに関係なく、「ヤコブ」とも呼ばれている「イスラエル」、言い換えれば、ユダヤ人のことを指しているのです。
なぜなら、ここで「主」と呼ばれている聖書の神は、はるか昔、ご自分の意思を直接人類に伝えるために、神と人との仲介となるべき民族を起こしたからです。それが実は、神から直接「イスラエル」と命名されたユダヤ人だと、聖書を読むとわかるのです。
そして神は、この民族の中から、将来、人類を罪の滅びから救う救い主を送り出すと予告されました。その予告も、聖書の至るところにちりばめられています。なので、聖書は一貫して、ユダヤ人と、それ以外の異邦人とを分けて、論を展開しているわけです。
ただし、ユダヤ人とて、弱さを持つ人間に過ぎないので、必ずしも神に忠実だったわけではありません。事実、残念ながら彼らは、いつしか聖書よりも、人の言い伝えや時の指導者たちに翻弄され、イエス・キリストが聖書の予告どおりに現れても、救い主とは認めませんでした。そして今や、彼らの膨大な言い伝えを経典に加えて重んじているのが、現代のユダヤ教です。
なので聖書は、人々の信仰が形骸化していく中で、旧約の時代では、聖書の神とその言葉に忠実な人、そして新約の時代では、聖書の予告どおりに現れたイエス・キリストを救い主と信じる人のことを、「イスラエルの残りの者」と呼んでいるのです。例えば、少し難しいくだりですが、旧約聖書にこんな預言の言葉があります。
【旧約聖書・イザヤ書10:20~21】
その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の逃れの者は、もう二度と自分を打つ者に頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る。
というわけで、聖書を調べれば、「畑に隠された宝」とは、「イスラエルの残りの者」、すなわち現代では、イスラエルや世界中に散らばったユダヤ民族の中で、隠れてキリストを救い主と信じている人たちだとわかります。ゆえに「畑に隠された宝」とは、キリストの福音ではなく、キリストを信じるユダヤ人のことです。もう一度言います。現代の「畑に隠された宝」とは、キリストを信じるユダヤ人です。
高価な真珠とは?
では一方の、「高価な真珠」とは誰でしょう。もう一度そのたとえを読んでみます。
【マタイの福音書13:44~46】
13:45 天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。
「真珠」については、象徴的に使われている聖書箇所はありません。そこで手がかりは、このたとえが「畑に隠された宝」と対になっていることと、「宝」が畑で見つかったのに対して、「真珠」が海で獲れることがポイントです。なぜなら、聖書の中で、「海」やそれを示す「水」が象徴的に使われたら、それはユダヤ人から見た、異邦人世界を指すからです。
これも少し難しい聖書箇所となりますが、旧約聖書で未来の預言が書かれた、ダニエル書という書物に、こんな言葉があります。
【旧約聖書・ダニエル書7:2~3】
私が夜、幻を見ていると、なんと、天の四方の風が大海をかき立てていた。すると、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
細かいことは省きますが、この言葉は、歴史の進展と共に、4つの異なる強大な国々や支配者が登場することを預言したものです。そして、ここで出て来る「大海」とか「海」は、それが登場する、異邦人世界を指しているのです。
更に、新約聖書で世の終わりに関する預言が書かれた「ヨハネの黙示録」では、「海」を連想させる「大水」や「水」について、明確にこう説明しています。
【ヨハネの黙示録17:15】
あなたが見た水、淫婦が座しているところは、もろもろの民族、群衆、国民(くにたみ)、言語です。
というわけで、聖書全体から判断すると、海の水の中から獲れた「高価な真珠」とは、異邦人の中から見つかった、キリストを救い主と信じる人のことだとわかります。従って、「高価な真珠」とは、キリストを救い主と信じる異邦人です。
宝を見つけた人や商人とは?
以上のことから、「畑の宝」はキリストを信じるユダヤ人、そして「高価な真珠」はキリストを信じる異邦人だとわかりました。では、これらを見つけて買い上げる「人」や「商人」とは誰でしょう?それは、私たちを救うために来た救い主、イエス・キリストです。
すなわち、キリストは私たちのことを、「隠された宝」や「高価な真珠」と呼んで、私たちを罪の滅びから救い出すために、命を投げ出して死ぬというのが、「行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います」という言葉の意味するところです。
そしてその言葉どおり、キリストはこの後、本当に、私たちの全ての罪を背負い、代わりに罰せられるために、十字架に架かるのです。ゆえにこのことが、私たちを救うためだったと信じる信仰によって、私たちは滅びを免れ、永遠の命を得るというのが、キリストのもたらした福音です。それを予告したのが、この「畑に隠された宝」と「高価な真珠」のたとえの内実です。
ではこれらを踏まえて、もう一度、今日のたとえを読んでみましょう。まず、ここで言われている天の御国とは、今に至る【キリスト教世界】のことでしたね。そしてこの中で、「宝」と出てきたら【キリストを信じるユダヤ人】、「真珠」と出てきたら【キリストを信じる異邦人】すなわち私たちです。そして、それを見つけた人や商人が【イエス・キリスト】です。
【マタイの福音書13:44~46】
13:44 天の御国【キリスト教世界】は畑に隠された宝のようなものです。その宝【キリストを信じるユダヤ人】を見つけた人【イエス・キリスト】は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠【キリストを信じる異邦人】を一つ見つけた商人【イエス・キリスト】は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。
このように、今日のたとえは、キリストが命を投げ出して私たちを救い出す、救いのメッセージです。そこであなたも、あなたのことを「高価な真珠」と呼んで救おうとされているイエス・キリストを、是非救い主と信じ仰ごうではありませんか。
(2025.2.15)