【キリストの足跡をたどる】073_キリストが来たらどうする?

073_キリストが来たらどうする?

【聖書】マルコの福音書5:1~20 
●汚れた霊につかれた人 
●人々の反応 
●私たちはどうする? 

【マルコの福音書5:1~20】
5:1 こうして一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。
5:3 この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。
5:4 彼はたびたび足かせと鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはできなかった。
5:5 それで、夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのである。
5:6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。
5:7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」
5:8 イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」と言った。
5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。
5:11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。
5:12 彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」
5:13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。
5:14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。
5:15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。
5:17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。
5:19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」
5:20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

前回、イエス・キリストとその弟子たちが、舟で湖をわたるシーンを見てきました。今日は彼らが、異邦人たちの住む、対岸に上陸します。

汚れた霊につかれた人

【マルコの福音書5:1~20】
5:1 こうして一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。彼はたびたび足かせと鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはできなかった。それで、夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのである。

上陸早々から、異様な展開になりました。墓場に住みついていた「汚れた霊につかれた人」が、彼らを出迎えたというのです。

このシーン、マルコのほかにマタイやルカも記録していて、それによれば、実際は「悪霊につかれた人が二人」いて、彼らはいずれも、手が付けられない状態だったというのです。

【マルコの福音書5:1~20】
5:6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。

キリストと、汚れた霊につかれた人との会話がはじまりました。ただ、内容を見る限り、その人自身というよりは、その人にとりついた汚れた霊、すなわち悪霊が人を介して言わせているのですね。なので実態は、キリストと悪霊とのやり取りです。

そこで、時間順に整理すると、まずはじめにキリストが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と命じたのですね。それに対して悪霊は、「いと高き神の子イエスよ」と、イエス・キリストが何者かを正確に見抜いて、「私を苦しめないでください」と懇願しました。

このシーン、現代の感覚では、ホラー映画のような印象を受けますね。でも前回、弟子たちが湖で遭難した時、キリストは言葉だけで自然界を制していました。それを思い起こせば、ここでも、私たちには見えない霊の世界で、人知を超えた力学が働いていることを認めない理由はありません。

だとすれば、私たちはこのシーンから、実に多くのことを学べます。まず、私たちには見えない霊の世界では、「汚れた霊」とか「悪霊」と呼ばれる霊がいるのですね。ただし彼らは、神が力ある方だと知っていて、その神に裁かれることを恐れているわけです。

であれば、私たちが神の庇護下にあるなら、「悪霊」と聞いても、過度に恐れる必要はありません。ちなみにマタイの記録によれば、この時、悪霊たちがキリストに、

【マタイの福音書8:29】
「まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来たのですか。」

と言ったとあるんです。すなわち、悪霊たちはいずれ神に裁かれると知っていて、もうそれが来たのかと慌てているのですね。だからキリストを見て、命乞いをしたわけです。そこでキリストが返します。

【マルコの福音書5:1~20】
5:9 イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。

ここでも貴重な情報が得られます。キリストが悪霊に名前を聞くと、「レギオンです」「大勢ですから」と答えていますね。この「レギオン」とは、元々はローマ帝国の軍団のことで、6000人ほどの部隊を指していたといわれています。なのでその由来どおり、悪霊は沢山いて、それが人にとりついたので、手の付けられない状態になっていたわけです。そんな悪霊どもが、自分たちをこの地方から追い出さないでくれと、懇願していますね。そこで事態が動きます。

【マルコの福音書5:1~20】
5:11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」

悪霊どもが、この地から追い出されるぐらいなら、せめてそこで飼われている豚の群れに入らせてくれ、と願い出ました。ちなみに、ユダヤ人たちは豚は食べませんが、ここは、ゲラサ人と呼ばれる異邦人が住む地なので、豚が飼われていたのですね。

【マルコの福音書5:1~20】
5:13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。

スペクタクルな事態になりました。キリストが悪霊どもの願いを聞き入れたら、彼らが入り込んだ豚が、驚いて正気を失い、湖になだれ込んで、溺れ死んだというのです。その数2000といいますから、豚飼いたちは大慌てです。

人々の反応

【マルコの福音書5:1~20】
5:14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。

豚が溺れ死んだことで、豚飼いたちまで正気を失ってしまったかのようですね。彼らは逃げ出し、方々でこの出来事を触れ回りました。一方で、悪霊が出て行った人は、正気に返って服を着たというのです。そこに人々がきて、彼らは「恐ろしくなった」とあります。この記録から、湖に浮いた、おびただしい豚の死骸や、墓場で正気を取り戻した人の姿が、地元の人々にとって、如何に異様な光景だったかが窺えます。

【マルコの福音書5:1~20】
5:16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。

さあ、ことの顛末が明らかになると、地元の人々はキリストに、「この地方から出て行ってほしい」と言い出しました。これは残念ですね。人々は、悪霊につかれていた人が正気を取り戻したことより、代わりに家畜が死んだことを、重く見たのです。

【マルコの福音書5:1~20】
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

地元の人々がキリストを歓迎しない中、正気を取り戻した人が、お供をしたいと願い出ました。でもキリストはそれを思いとどまらせ、彼の地元で、主なる神が彼にしてくれたことを知らせるよう諭したのです。そこで彼は言われたとおり、このあたりの10の都市を指す、デカポリス地方で、主なる神である、キリストがされたことを言い広めたのです。これが、今日の話の結末です。

私たちはどうする?

さあ、私たちはこの話から何を学ぶでしょう。多くの人は、「汚れた霊」とか、「悪霊」の追い出しと聞くと、私たちには関係ないとか、この話は絵空事だ、と感じるかもしれません。でもそのように受け取るのは大きな間違いです。なぜなら、そう感じている時点で、私たちは、キリストに「出て行ってほしい」と言っていた人々と、同じだからです。

すなわち、私たちもまた、彼らゲラサ人と呼ばれた異邦人と同じく、私たちに命を授けた、神を知らずに生きて来た、お互いです。なので、私たちからではなく、神の側から私たちに近づいて来られたのが、主なる神であるイエス・キリストです。そこで今、あなたがこのキリストに、どのような態度をとるかが問われるのです。

この視点に立てば、残念ながら、「この地方から出て行ってほしい」とキリストに言った当時の人々は、神を拒絶したのと同じです。

その一方で、誰も手を付けられないほど暴力的かつ自虐的だった人の人間性は、キリストによって見事に回復しました。この事実こそ、その人にとっては勿論、実は、そこに住むすべての人々にとっても、喜ばしいことにほかなりません。

ゆえにキリストはその人に、神である「主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」と諭したのです。ここに、神が私たち一人一人を愛している、愛の大きさを見ることが出来ます。聖書にはこんな一節があります。

【旧約聖書・イザヤ書43:4】
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。

この言葉は、第一義的には、天の父なる神が、私たちのもとに、救い主を送り出す民族として起こした、ユダヤ人たちに向けられたものです。と同時に、その救い主を信じて救われるように願われている、私たち一人一人に向けられた言葉でもあります。そしてその救い主こそ、イエス・キリストです。

このイエス・キリストに「出て行ってほしい」と言うのは、正しい判断でしょうか。そうであってはなりません。そこで私たちは、今こそ、私たちを罪の滅びから救い出すために、神の側から私たちのもとに来られた、イエス・キリストを救い主と信じ、お迎えしようではありませんか。

(2025.3.30)

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