082_キリストは剣をもたらす?
【マタイの福音書10:34~39】
10:34 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。
10:35 わたしは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たのです。
10:36 そのようにして家の者たちがその人の敵となるのです。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
10:38 自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
10:39 自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。
私たちは今、キリストの弟子のうち12人が、「使徒」として宣教に遣わされる場面を紐解いています。それに伴い、彼らがこれから、何をどうしたらよいか、そして、彼らにどんなことが降りかかるかを、キリストが教えています。今日もその続きを追いかけますが、これから読む聖書箇所はちょっと手ごわいです。そこで、全体を二つの山に分けて紐解きます。まずは一つ目です。
キリストが剣をもたらす?
【マタイの福音書10:34~39】
わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。わたしは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たのです。そのようにして家の者たちがその人の敵となるのです。
さあ、とんでもない言葉が飛び出しました。キリストが、「平和ではなく剣をもたらすために来ました」と言っています。それによって、家族が敵になるというのですね。耳を疑う話です。キリストは、平和をもたらすために来たのではなかったのでしょうか。いったいどういうことでしょう。
そこで、この言葉を理解するために、キリストの言う「剣」が何を指しているのか、他の聖書の言葉から探ってみます。まずこの言葉です。
【ヘブル人への手紙4:12】
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
「神のことばは」「両刃の剣よりも鋭」いと言っていますね。ここでは、「神のことば」を「剣」にたとえています。そしてもう一つ。今度は、私たちが悪魔に負けないための、こんなすすめの言葉です。
【エペソ人への手紙6:17】
救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
これも「神のことば」を「剣」にたとえています。さあそこで、
【マタイの福音書10:34~39】
10:34 わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。
とキリストが語った「剣」を「神のことば」に読み替えると、こうなります。
【マタイの福音書10:34】※読み替え
「キリストは、平和ではなく、『神のことば』をもたらすために来ました。」
キリストは「神のことば」をもたらすために来た、というわけです。ただし、「神のことば」は「両刃の剣よりも鋭」いので、それを聞くと、反発する人が出てくるわけです。なので、「神のことば」をもたらしたイエスを救い主だと信じたら、「家の者たちがその人の敵となる」というのですね。
でも、この話を聞いているユダヤ人たちは、「神のことば」が書かれた聖書に、長年親しんで来たはずですよね。それなのに、なんで「神のことば」がもたらされると対立が生まれるのでしょう。
その訳は、ユダヤ人たちが、聖書のほかに、ユダヤ教の経典となる「昔からの言い伝え」をことさらに重んじているからです。でもそれは所詮、人の教えであって「神のことば」ではありません。
なのでキリストは、人々が「昔から言い伝え」に翻弄されていることを指摘し、「人のことば」ではなく、「神のことば」がまとめられた聖書と、聖書に書かれた預言のとおりに来た、私の言うことに耳を傾けよと諭したのです。でもそれは、当時の宗教指導者たちには、耳の痛い内容でした。なぜなら、先程ご紹介した聖書の言葉に、こうありました。
【ヘブル人への手紙4:12】
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
この言葉どおり、キリストが語る「神のことば」は、宗教指導者たちの「思いやはかりごとを見分ける」鋭利な剣だったからです。
そこで彼らは、イエス・キリストを悪魔呼ばわりした挙句、十字架につけて殺してしまいます。そして、後に成文化されたユダヤ教の経典「タルムード」に、「イエスは魔術を行って人々を惑わした」と書きこんだのでした。なので、ユダヤ教では、今もその教えに従って、イエス・キリストを拒絶し続けているのが現実です。
というわけで、イエス・キリストが「神のことば」をもたらすと、受け入れる人と、反発する人が出てきて、身内であっても、受け入れた人が迫害されるというわけです。それが預言的に語られたのが、これまでのくだりです。では二つ目の山を紐解きます。
私に相応しくない者とは?
【マタイの福音書10:34~39】
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。
さあ、これも辛い言葉です。イエス・キリストを拒絶しているユダヤ社会で、イエスこそ救い主だと言ったら、その人は迫害されてしまいますよね。となると、家族を大切にしたいと思うあまり、イエス・キリストへの信仰を封印したり、二の次としたりする人は、「わたしにふさわしい者ではありません」というのです。
でも、キリストよりも「父や母を愛する者」や「息子や娘を愛する者」は「ふさわしい者ではありません」とは、かなり酷な話です。どうしてこんなことを言うのでしょう。
そこで、もう一度文脈に立ち戻ると、この言葉はあくまでも、これから宣教に派遣される使徒たちに向けたものであることを忘れてはいけません。すなわち、「わたしにふさわしい者」とは、イエス・キリストの代理人として遣わされるのにふさわしい、使徒のあり方を指したものとわかります。なのでこの言葉は、人がどうしたら救われるかを述べたものではありません。その点、くれぐれも誤解してはなりません。
それに、聖書全体から判断すれば、キリストは決して、家族を愛さなくてよいとか、神のゆえに家族を蔑ろにしろと言っているのではありません。なぜなら、神が授けた「十戒」と呼ばれる戒めには、
【旧約聖書・出エジプト記20:3】
あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
とあると共に、
【旧約聖書・出エジプト記20:12】
あなたの父と母を敬え。
と明確に戒めているからです。更に、キリスト自身も、旧約聖書で最も大切な戒めについて、こう語っています。
【マタイの福音書22:37~40】
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」これが、重要な第一の戒めです。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。
このように、キリストは、神を愛することと同様、家族をはじめとする隣人を愛することも「同じように重要」だと言い切っています。従って、キリストが使徒たちに語った言葉は、家族を軽視するものでは決してなく、使徒として遣わされる以上、いつも神を最優先に行動するよう促したものだとわかります。それが、このくだりの真意です。
とはいえ、神を最優先にするからといって、家族のことを心配しないわけには行きません。そこで聖書は、私たちにこんな励ましの言葉を送っています。
ゆだねよ
【旧約聖書・詩篇37:5】
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
【ペテロの手紙第一5:7】
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
「ゆだねよ」という言葉が印象的ですね。すなわち、私たちが神に信頼して一切をゆだねるなら、神もまた、私たちが思い煩う一切について、私たちの代わりに心配してくださるというのです。それが、「神のことば」を受け入れて、イエス・キリストを救い主と信じて従う者に相応しいあり方だというわけです。
もう一度言います。私たちが一切を神にゆだねるなら、神もまた、私たちが思い煩う一切を、代わりに心配してくださるのです。そして最後に、「自分のいのちを得る者は」云々という言葉が続きますが、それは次回紐解いて参ります。では、今日のまとめです。
まとめ
今日は、キリストが剣をもたらすとか、キリストより家族を愛する者はふさわしくないとか、耳を疑う言葉が連続して出てきました。でもこうした言葉の真意は、使徒たち、そして私たちが「神のことば」に素直に耳を傾け、神に全てをゆだねなさい、ということです。そうすれば、私たちが心配する一切を、神が代わって心配してくださるのです。
そこであなたも、イエス・キリストを救い主と信じて、万物を司られる神が、すべてを最善へと導いてくださると信じようではありませんか。それを示した言葉をもう一度読んで終わりにします。
【ペテロの手紙第一5:7】
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
(2025.8.15)
