【キリストの足跡をたどる】083_「命を得る」ってなに?

083_「命を得る」ってなに?

【聖書】マタイの福音書10:39~42 
●命を失う者はそれを得る? 
●使徒を受け入れる人 
●永遠の命を得よう 

【マタイの福音書10:39~42】
10:39 自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。

10:40 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。
10:41 預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だからということで受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。
10:42 まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」

これまでキリストは、「使徒」として選んだ12人の弟子たちに、これから何をどうしたらよいのか、そして将来、どんなことが彼らに降りかかるかを教えてきました。今日は、前回読んだ最後の部分から、終わりまでを紐解きます。

命を失う者はそれを得る?

【マタイの福音書10:39~42】
10:39 自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。

さあ、意味深な一言ですね。これは一体、何を言っているんでしょう。自分の命を得るならそれを失う一方、キリストのために命を失うならそれを得る。わかったようでわからない、そんな言葉です。恐らく、「使徒」と呼ばれた弟子たちも、この時はピンと来なかったのではないでしょうか。

そこでまず、この言葉が語られている文脈を確認してみます。前回キリストは、

【マタイの福音書10:34】
わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。

と、耳を疑うようなことを言っていましたね。でも聖書には、

【ヘブル人への手紙4:12】
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く…

とあるとおり、「剣」とは「神のことば」のことで、キリストが「神のことば」をもたらすと、それを信じる人と信じない人との間に、軋轢が生まれることを教えたものでした。ゆえに、それを恐れるあまり、「神のことば」を蔑ろにする人は、弟子としてふさわしくないというわけです。それを教えたのが、

【マタイの福音書10:38】
自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

という言葉でした。そしてこの後に続くのが、今日の

【マタイの福音書10:39~42】
10:39 自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。

という一言です。なので、これらの教えは、キリストが「使徒」たちに、真の弟子としてどうあるべきかを教えたもので、キリストは私たちが救われるために、自分の命を投げ出せと教えているのではありません。人はあくまでも、行いによらず、信仰によって救われるというのが、聖書全体から読み取れる、救いの条件だからです。

というわけで、ここではどうしたら救われるかではなく、既にキリストを信じて救われた人が、「使徒」のような弟子になろうとするなら、「自分の十字架を負ってわたしに従って」来なさい、と促しているわけです。

でも、キリストに従って「神のことば」を伝えたら、信じない人との間に軋轢が生まれ、迫害されるかもしれません。こうした文脈の中で、「わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得る」と続くのです。

ということは、この言葉には、キリストのために「いのちを失う」ことがあっても、その人は「それを得る」から安心しなさい、という励ましが込められているとも言えますね。

では、「いのちを失う者は、それを得る」と言っている「それ」ってなんでしょう。文脈に従えば、直前に出てきた「いのち」のことだとわかりますが、「いのちを失う者は」「いのち」「を得る」では、不可解ですよね。

そこで、キリストが「それ」と言っている「いのち」とはなにか、聖書からヒントを探すと、この言葉が浮かんできます。

【ヨハネの福音書3:16】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

「御子を信じる者」「永遠のいのちを持つ」とありますね。ここで出て来る「神」とは「天の父なる神」、そして「ひとり子」とか「御子」「イエス・キリスト」のことです。そして、「一人として滅びることなく」という言葉を裏返せば、私たちの「いのち」が、今のままでは滅びることを暗示しているとわかりますね。これは厳かな警告ではないでしょうか。そこで、「神」「御子」を読み替えると、こうなります。

【ヨハネの福音書3:16】※読み替え
天の父なる神は、実に、そのひとり子であるイエス・キリストをお与えになったほどに世を愛された。それはイエス・キリストを信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

「キリストを信じる者」「一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つ」と言っています。そこで、先程の「それ」という言葉を「永遠のいのち」に読み替えると、こうなります。

【マタイの福音書10:39】※読み替え
イエス・キリストのために自分のいのちを失う者は、永遠のいのちを得るのです。

「キリストのためにいのちを失う者は、永遠のいのちを得る」。これが、この言葉の真意です。それを踏まえて、キリストが言わんとする全体像を整理すると、こうなります。

イエス・キリストを信じて救われた人が、「神のことば」を宣べ伝えたら、信じない人との間に軋轢が生まれ、迫害されるかもしれません。でもそれで万一、「いのちを失う」ことになっても、あなたは「永遠のいのちを得る」のだから安心しなさい。

なぜなら、「天の父なる神は、実に、そのひとり子であるイエス・キリストをお与えになったほどに世を愛された」ゆえに、その「イエス・キリストを信じる者」は、「一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つ」と約束されているからだ、というわけです。これが、キリストが言わんとしている真意です。

一方でキリストは、「自分のいのちを得る者はそれを失」うとも言っていますね。これは、信仰によらず、自分の努力や行いによって自分を救おうとしても、「永遠のいのち」は得られないことを教えているとわかります。なので、自分で自分を救おうとする人は、弟子としてふさわしくないというのが、この言葉の真意です。では、最後のセンテンスを紐解きます。

使徒を受け入れる人

【マタイの福音書10:39~42】
10:40 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だからということで受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」

「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ」「わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れる」のだと言っています。噛み砕けば、キリストが遣わした人を受け入れるなら、キリストを受け入れたのと同じで、それは更に、天の父なる神を受け入れたのと同じなのですよ、というわけです。

そして「使徒」たちを受け入れる人は、「使徒」が神から受けるのと同じ報いを受けると約束しています。そのたとえとして、「わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」と締めくくったのでした。これは、地域性を鑑みれば、砂漠の中のオアシスで差し出された「冷たい水」を想起させたでしょうね。

というわけでキリストは、「使徒」たちに施す人は、神に施したのと同じで、神はその施しに必ず報いることを教えたのでした。

永遠の命を得よう

以上、ここまで、イエス・キリストが、「使徒」として派遣する弟子たちに語った言葉を概観してきました。そしてその内容は、キリストを信じて救われた人が宣教を志す際の、弟子としてのあり方を教えたものでした。

なので、一見すると、これらはものすごくハードルの高い教えに感じますが、よくよく紐解けば、キリストが言わんとしている本質は、キリストを信じる全ての人にあてはまるとわかります。

なぜなら、私たちがイエス・キリストを救い主と信じたら、その人にはその瞬間に、決して滅ぶことのない、「永遠のいのち」が与えられているからです。その根拠は、本来は罪のゆえに裁かれても仕方がない私たちを救うため、父なる神が遣わしたイエス・キリストが、私たちの代わりに裁かれ、死なれたことにあるのです。それがキリストの十字架です。

この事実があるので、イエス・キリストが私に代わって死なれたのだと信じるなら、あなたは罪が赦されて神の裁きを免れ、肉体が滅んでも滅びない「永遠のいのち」を得て、神と共に生き続けるというのが、聖書が伝える福音です。それを示したのが先程の言葉です。

【ヨハネの福音書3:16】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

この通り、イエス・キリストを救い主と信じた人に「永遠のいのち」が与えられることは、神の約束にほかなりません。それを使徒たちの心に刻まんとしてキリストが語ったのが、「わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得る」という言葉です。

そこで今日あなたも、肉体が滅んでも滅びることのない、「永遠のいのち」をいただこうではありませんか。それを得る秘訣は、あなたが滅びないために、代わりに死んで裁かれたイエス・キリストを救い主と信じること、ただそれだけです。このことを素直に信じようではありませんか。

(2025.8.30)

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