084_神が全てを成し遂げる?
【マルコの福音書6:12~13】
6:12 こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、
6:13 多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。
【マルコの福音書6:30~44】
6:30 さて、使徒たちはイエスのもとに集まり、自分たちがしたこと、教えたことを、残らずイエスに報告した。
6:31 するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。
6:32 そこで彼らは、自分たちだけで舟に乗り、寂しいところに行った。
6:33 ところが、多くの人々が、彼らが出て行くのを見てそれと気づき、どの町からもそこへ徒歩で駆けつけて、彼らよりも先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。
6:35 そのうちに、すでに遅い時刻になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは人里離れたところで、もう遅い時刻になりました。
6:36 皆を解散させてください。そうすれば、周りの里や村に行って、自分たちで食べる物を買うことができるでしょう。」
6:37 すると、イエスは答えられた。「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリのパンを買い、彼らに食べさせるのですか。」
6:38 イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて来て言った。「五つです。それに魚が二匹あります。」
6:39 するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。
6:40 人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。
6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。
6:42 彼らはみな、食べて満腹した。
6:43 そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。
6:44 パンを食べたのは、男が五千人であった。
これまでキリストは、弟子たちの中から12人を「使徒」として宣教に遣わすため、彼らに様々な指示や注意を与えてきました。今日はそんな使徒たちのその後の働きと、4つの福音書全てに書き残された、有名な奇跡を追いかけます。
使徒たちの宣教と帰還
【マルコの福音書6:12~13】
6:12 こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。
簡単な一文ですが、使徒たちが忠実に宣教し、キリストが授けた権威をもって悪霊を追い出し、人々の病を癒やしたことがわかります。そして彼らが戻ってきたのが、6:30以下の、次のくだりです。場所は恐らく、ガリラヤ湖畔のカペナウムという所です。
【マルコの福音書6:30~44】
6:30 さて、使徒たちはイエスのもとに集まり、自分たちがしたこと、教えたことを、残らずイエスに報告した。するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。
キリストが彼らに休みを取らせようとしていますね。「出入りする人が多くて」とあるので、出迎えた人だけでなく、彼らについてきた人々もいたのかもしれません。どうであれ、その場が活気に溢れていたとわかります。
【マルコの福音書6:30~44】
6:32 そこで彼らは、自分たちだけで舟に乗り、寂しいところに行った。ところが、多くの人々が、彼らが出て行くのを見てそれと気づき、どの町からもそこへ徒歩で駆けつけて、彼らよりも先に着いた。
さあ、すっかり注目の的ですね。ここで使徒たちが舟を出したガリラヤ湖は、舟がどこに向かっているのか、陸からも見渡せるのですね。なので、人々が沿岸を先回りして、船が着く地で待ち構えていたわけです。ということは、キリストの働きは勿論、使徒たちの宣教が、それだけ多くの実を結んだと考えられます。
大群衆への宣教
【マルコの福音書6:30~44】
6:34 イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。
「イエスは彼らを深くあわれみ」とあります。この「深くあわれみ」とは、イエス・キリストが、はらわたを引きちぎられるほどの強い思いに駆られたことを示す、特別な用語です。なぜなら、群衆が「羊飼いのいない羊の群れのよう」に見えたからです。そしてこの群衆が、かなりの数にのぼったことが、後でわかります。続きです。
5つのパンと2匹の魚の奇跡
【マルコの福音書6:30~44】
6:35 そのうちに、すでに遅い時刻になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは人里離れたところで、もう遅い時刻になりました。皆を解散させてください。そうすれば、周りの里や村に行って、自分たちで食べる物を買うことができるでしょう。」
あれこれしているうちに、日が傾いてきたのですね。弟子たちがそろそろ解散しましょうと進言しました。
【マルコの福音書6:30~44】
6:37 すると、イエスは答えられた。「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリのパンを買い、彼らに食べさせるのですか。」イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて来て言った。「五つです。それに魚が二匹あります。」
さあ、困ったことになりました。「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」と言うのですね。明らかに無理難題です。この時代、地元や街中ならいざ知らず、人里離れた所で、どうやって食べ物を用意するのでしょう。
それに、パンを買うにも「二百デナリ」かかるとあります。当時は1デナリが、労働者1日分の賃金に相当したので、200デナリといったら大金です。そこで、今ある食べ物を確かめたら、5つのパンと2匹の魚だけだというのです。
ちなみにこのパンと魚、ヨハネの記録によれば、持っていたのは少年でした。子どもの持ち物を横取りするわけにはいきませんよね。さあ、どうするんでしょう。
【マルコの福音書6:30~44】
6:39 するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。彼らはみな、食べて満腹した。そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。パンを食べたのは、男が五千人であった。
驚くべき結果になりました。キリストは少年が持っていたパンと魚を取り、「天を見上げて神をほめたたえ」た、とあります。これは、天の父なる神が成されることに信頼して、感謝の祈りをささげているわけです。そしてパンを裂いて、魚と共に分け始めたのですね。
するとどうでしょう。イエス・キリストがパンと魚を分けたら、群衆がみな「食べて満腹した」というのですね。そして残りを集めたら、12のかごがいっぱいになったとあります。ということは、群衆に配り終えた12使徒たちも、最後にそれを食べて満腹できたわけです。
更に驚くことに、この時パンを食べたのは、男性だけで5000人もいたのですね。「男が五千人であった」とあるのは、当時の社会が家父長制だったからで、実際には女性や子どももいたはずです。となると、恐らく10000人以上が、パンと魚を食べて満腹になったと考えられます。これが、このエピソードの全貌です。
この記事は本当か?
さあ、皆さんはこの記録をどう受け止めるでしょう。奇跡を信じない人は、この物語は、パンを分け合う子どもを見た大人たちが、恥ずかしくなって、互いに弁当を分けあったのだ、なんて言ったりします。でもそれなら、聖書の記者ははじめからそう書いたはずです。それに、その程度の話なら、わざわざ聖書に書き残す必要もありません。
更に言えば、聖書には、キリストが行った奇跡が山ほど出て来ますね。でも、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと、4人の福音書の記者全員が書き残した奇跡は、実はこれ一つしかありません。中でもマタイとヨハネは、この現場に居合わせた目撃者です。加えてマルコは、弟子のペテロから直接聞いてこれを書いたと思われます。となるとこの記事は、複数の使徒たちの目撃証言にほかなりません。
こうしたことを勘案すると、この記事は、聖書の神が本当に生きて働かれた奇跡だという、揺るがぬ証拠ではないでしょうか。だとすれば、私たちがこの事実を軽んじるなら、聖書が示す父なる神や、イエス・キリストさえも軽んじたのと同じです。ちなみに、キリストが前回、使徒たちに、こう話していたのをご記憶でしょうか。
【マタイの福音書10:40】
あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。
この言葉に倣って、私たちが、使徒たちの目撃証言であるこの記事を素直に受け入れるなら、それは、イエス・キリストと、キリストを遣わした天の父なる神を受け入れたのと同じです。であれば自ずと、私たちはこの記事が伝えんとしている、神の業の素晴らしさがわかりますね。それを踏まえて、この記事が教える本質を探って終わりにします。
ゆだねよ
今回、キリストが使徒たちに与えたチャレンジは「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい」というものでした。それについて使徒たちは、そんなことは無理だ、出来やしないと感じたようです。私たちもそう思いますよね。
ところが実際は、イエス・キリストが父なる神に信頼して感謝の祈りをささげたら、キリストの手の内で必要な数が満たされました。具体的には、5つのパンと2匹の魚が、何千個、何千匹という数にまで増えたのでした。これが神のなさった奇跡です。
一方、使徒たちがしたことは何でしょう。それは、キリストに言われて、今あるパンと魚を持ってきたことと、キリストが裂いたそれらを配り歩いただけでした。それも、彼らが持ってきたパンと魚は、元はといえば子どもの持ち物、借り物に過ぎませんでした。
ということは、彼らはキリストの指示に従って、持ち得るものを差し出しただけなのに、結果として、群衆に山ほど配り与えることができました。言い換えれば、使徒たちはキリストの言葉に従っただけで、あとはイエス・キリストを通して、父なる神が全てを成し遂げられたのです。これがこの出来事の本質です。
さあそこで、この奇跡から得られる教訓はなんでしょう。それは、私たちが神に喜ばれる人生を送ろう、あるいは、神の意思に適うことを成そう、たとえば、使徒たちに倣って、キリストの福音を述べ伝えよう、と思うなら、まずは私たちが、神の言葉に素直に従い、持ち得るものがあればキリストの前に差し出し、あとは全てをゆだねる、ということではないでしょうか。それを後押しする、こんな言葉があります。
【旧約聖書・詩篇37:5】
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
ここで出て来る「主」とは、聖書が示す神のことです。この神に信頼してゆだねなさい、そうすれば、神ご自身が成し遂げてくださるというのです。この言葉が真実であることを、キリストが使徒たちに体験的に教えたのが、このパンと魚の奇跡でした。だから使徒たちは、神が成し遂げられることの素晴らしさを実感し、目撃したありのままを後世に伝え、福音書の記者全員がこれを記録したのでした。
さあ、そこであなたも、この聖書の神に信頼して、あなたの道をゆだねてはいかがでしょう。そして、神が全てを成し遂げてくださると信じようではありませんか。
(2025.9.15)
