【キリストの足跡をたどる】086_奇跡を信じれば神がわかる?

086_奇跡を信じれば神がわかる?

【聖書】ヨハネの福音書6:24~29 
●政治的リーダーを求める群衆 
●神から証印を押されたキリスト 
●「永遠のいのち」を得るには? 

【ヨハネの福音書6:24~29】
6:24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないことを知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り込んで、イエスを捜しにカペナウムに向かった。
6:25 そして、湖の反対側でイエスを見つけると、彼らはイエスに言った。「先生、いつここにおいでになったのですか。」
6:26 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
6:27 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
6:28 すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」
6:29 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。

今日から、イエス・キリストと人々との、長い対話が始まります。そのきっかけは、キリストが人里離れた湖の対岸で、5つのパンと2匹の魚をもとに、大群衆のおなかを満たす奇跡を起こしたことでした。そこで人々が、舟でキリストを追いかけて来たのです。

政治的リーダーを求める群衆

【ヨハネの福音書6:24~29】
6:24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないことを知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り込んで、イエスを捜しにカペナウムに向かった。そして、湖の反対側でイエスを見つけると、彼らはイエスに言った。「先生、いつここにおいでになったのですか。」

人々がキリストを見つけて、「いつここにおいでになったのですか」と訊いていますね。というのは、キリストは湖の対岸で奇跡を行った後、群衆の前から姿を消していたからです。手前の聖書箇所にこうありました。

【ヨハネの福音書6:14~15】
人々はイエスがなさったしるしを見て、「まことにこの方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。イエスは、人々がやって来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再びただ一人で山に退かれた。

この記録からわかるとおり、群衆は自分たちのおなかを満たしたキリストこそ、「世に来られるはずの預言者」だと直感し、「王にするために連れて行こう」としていたのですね。彼らは、イエス・キリストが、ローマ帝国の圧政や生活苦から解放してくれるような、政治的なリーダーになってくれることを期待したのでした。

でも、キリストは政治家になるためにこの世に来たのではありません。なので、人々が誤解しないよう、これから極めて大事なことを話し出します。ただ、その話を群衆はなかなか理解出来ません。そのあたり、これから詳しく紐解いて参ります。

神から証印を押されたキリスト

【ヨハネの福音書6:24~29】
6:26 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」

まずキリストが、「まことに、まことに、あなたがたに言います」と言っていますね。この「まことに、まことに」とは、原語では「アーメン、アーメン」となります。

「アーメン」とは、祈りの最後に結びのように使われますよね。その意味は、この祈りは「本当です」、これは私の本心に「間違いありません」といったことを表わします。なのでキリストは、「アーメン、アーメン」と強調することで、「これからあなたがたに本当に大事な真理を語るから、よく聞くように」と忠告しているわけです。

そして、「あなたがたがわたしを捜しているのは」「パンを食べて満腹したからです」と言っていますね。ということは、深読みが許されるなら、キリストは人々に、「あなたがたは単に、食べ物が欲しくて私を追いかけてきたのでしょう」と言っているわけです。

その上で、「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい」と諭しました。さあ、この一言が要注意です。キリストはここで、パンのような、食べたら無くなるものではなくて、「いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物」があることを人々に打ち明けたわけです。

そして「それは、人の子が与える食べ物です」と続けました。ここで出て来る「人の子」とは、イエス・キリストのことです。なので、「いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物」を、私、イエス・キリストが与えるのですよ、と言っているわけです。

ということは、キリストは人々が思い描いていた、食べ物を配給する慈善家や政治家などとは全く次元の違う、「永遠のいのち」に導く存在だ、というわけです。繰り返します。キリストは、政治家や慈善家ではなく、人々を「永遠のいのち」へと導く存在なのです。

でも、人々を「永遠のいのち」に導くなんて本当でしょうか。そこで、「神である父が」キリストに「証印を押されたのです」と付け加えました。すなわち、イエス・キリストが人々に「永遠のいのちに至る食べ物」を与えることについては、天の父なる神が保証しているのだ、というわけです。

さあ、こうして一言一言を丹念に取り上げると、実はキリストは、すごいことを言っているとわかりますね。でも、こんなことをまともに信じていいのでしょうか。イエス・キリストに、天の父なる神がお墨付きを与えたなんて、どうしたらわかるのでしょう。

実はその答えが、前の日にキリストが起こした、5つのパンと2匹の魚をもって、群衆のおなかを満たした奇跡だったのです。その時の顛末を、聖書はこう伝えていました。

【マルコの福音書6:41~44】
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。彼らはみな、食べて満腹した。そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。パンを食べたのは、男が五千人であった。

イエス・キリストが父なる神を褒め称えてパンを裂いたら、群衆がみな食べて満腹したのですね。この中で、キリストが「天を見上げて神をほめたたえ」たという記録から、この奇跡は、天の父なる神がイエス・キリストの祈りに応えて実現させたことだとわかります。従って、5つのパンと2匹の魚をもとに大群衆が満腹した事実こそ、「神である父が」イエス・キリストに「証印を押された」ことを示す出来事だったというわけです。

なので、群衆はこの奇跡を目の当たりにしたのだから、その時点で、イエス・キリストが何者なのか、悟ってしかるべきだったのですね。ところが彼らは、奇跡のことなどどこへやら、ただで食べ物にありついて、満足しただけでした。そんな彼らが「永遠のいのちに至る食べ物」があると聞いて、こんな問いを投げかけました。

【ヨハネの福音書6:24~29】
6:28 すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」

人々が「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか」と訊いていますね。この表現、簡単に言い換えれば、彼らが「永遠のいのちに至る食べ物」を得られるよう、神の意思に適うには、何をしたらよいかと尋ねているわけです。

そこでキリストは、「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです」と答えました。すなわち、神が彼らのもとに遣わしたこの私、イエス・キリストを救い主だと信じることこそ、天の父なる神の意思に適うことなのですよ、と示したわけです。

でも、彼らにとってイエス・キリストは、ただで食べ物をくれた、いい人という程度の認識しかありません。なのでこの後、かみ合わない会話が延々と続いてしまうのです。そこで、この先のことは次回に回し、これまでの会話から教訓を得たいと思います。

「永遠のいのち」を得るには?

今日の会話を通して、人々が行き着いた問いかけは、人はどうしたら「永遠のいのちに至る食べ物」を得られるのか、ということでした。それが表れていたのが、「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか」という、人々の問いかけです。実はこうした問いを、当時のユダヤ人たちはよくイエス・キリストに投げかけました。例えばこんな感じです。

【マタイの福音書19:16】
「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」

この問いかけから、彼らは、何か良い行いや努力をすれば「永遠のいのち」を手に入れられると思っていたようですね。でもキリストの答えは、そうではありません。キリストは、

【ヨハネの福音書6:24~29】
6:29 「神が遣わした者をあなたがたが信じること」

それが「永遠のいのち」を手に入れる秘訣だと応答しています。すなわち、天の父なる神がこの世界に遣わした、イエス・キリストを救い主と信じる信仰によって「永遠のいのち」が得られるのだ、というわけです。そして人々がそう信じられるよう、キリストは様々な奇跡を通して、ご自分こそ「神である父が証印を押された」救い主であることを示してきました。その上で、キリストはこんな言葉を残しています。

【ヨハネの福音書10:37~38】
「もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じてはなりません。しかし、行っているのなら、たとえわたしを信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。」

さあ、キリストの言わんとしていることがおわかりでしょうか。たとえイエス・キリストを救い主だと信じられなくとも、先ずは、イエス・キリストが起こした「わざ」すなわち奇跡を信じなさい、というわけです。そうすれば、それらによって、天の父なる神がキリストと共にあり、キリストも父なる神と共におられることがわかるはずだ、というのです。

ゆえに、人々がそれを悟るよう、父なる神がキリストを通して起こしたのが、5つのパンと2匹の魚の奇跡でした。そして何よりも、この後に起こる最大の奇跡こそ、キリストが私たちの罪を贖うために死んで葬られた後、天の父なる神によって、三日目によみがえらされて、生きたまま天に上げられた、という事実です。これは聖書にしっかりと書かれています。

実はこの奇跡を信じることこそ、私たちが「永遠のいのち」を得る秘訣なのです。だからキリストは「わたしのわざを信じなさい」と促したのでした。

さあ、そこで私たちも、聖書に書かれた奇跡の数々を軽んじるのではなく、それらが全て、イエス・キリストこそ救い主であると、天の父なる神が保証した証拠だと認めて、聖書を読みすすめようではありませんか。そうすれば、私たちは聖書が示す神について、より深い理解を得ることが出来ます。それを教えたキリストの言葉をもう一度読んで終わります。

なお、ここで出て来る「わたし」を「イエス・キリスト」、そして「父」を「天の父なる神」に読み替えて読んでみます。

【ヨハネの福音書10:37~38】 ※読み替え
「もしイエス・キリストが、イエス・キリストの父なる神のみわざを行っていないのなら、イエス・キリストを信じてはなりません。しかし、行っているのなら、たとえイエス・キリストを信じられなくても、イエス・キリストのわざを信じなさい。それは、天の父なる神がイエス・キリストにおられ、イエス・キリストも天の父なる神にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。」

(2025.10.15)

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