087_天の父なる神の意思とは?
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:30 それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。
6:31 私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」
6:32 それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。
6:33 神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
6:34 そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
6:36 しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。
6:37 父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。
6:38 わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。
6:39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。
6:40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
前回から、人々とイエス・キリストの長い対話を追いかけています。そのきっかけは、イエス・キリストが、5つのパンと2匹の魚をもとに、大群衆のおなかを満たす奇跡を起こしたことでした。すると人々が追いかけてきたので、キリストは彼らに、パンのような、なくなってしまう食べ物ではなく、「いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物」があると告げたのでした。
これを聞いた人々は、そんな食べ物があるなら、どうしたらそれを得られるのかと問い詰めました。そこでキリストは、なにかをするのではなく、私を信じれば得られると教えました。ただ、残念ながら彼らは、イエス・キリストが一体何者なのか、奇跡を見ても全く悟っていませんでした。なので人々は、キリストの言うことが理解できず、かみ合わない会話が続いてしまうのです。
奇跡を要求する人々
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:30 それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。
呆れたことを言い出しましたね。彼らはキリストに、あなたを信じるために、どんな奇跡をやってくれるのか、一体何をしてくれるのかと問い詰めています。でも彼らは、キリストが群衆のためにパンと魚を用意した奇跡を見て、食べて満腹した人たちです。それなのに、まだなにかやってくれというわけです。そしてこう付け加えます。
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:31 私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」
ここで私たちには、予備知識が必要になります。というのは、彼らが「私たちの先祖は、荒野でマナを食べました」と言っていますね。これは、ユダヤ民族が昔、40年にわたって荒野をさまよった時の、民族の歴史のことを言っているのです。その時、彼らが飢え死にしないよう、神が天から「マナ」と呼ばれるパンのような食べ物を降らせて、彼らはそれを食べて生き延びたのでした。旧約聖書に、こんな詩文が残っています。
【旧約聖書・詩篇78:23~25】
神は 上の雲に命じて 天の戸を開き
彼らの上に 食べ物としてマナを降らせ 天の穀物を彼らに与えられた。
それで人々は御使いのパンを食べた。 神は満ち足りるほど食物を送られた。
なので、彼らはキリストに対して、あなたがそんなにすごい人なら、ありきたりのパンではなく、「マナ」のような天からのパンでも降らせてくださいよ、そうしたら信じてあげましょう、と言いたい訳です。失礼ですね。そこでキリストが答えます。
天からのまことのパン
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:32 それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
キリストの言うとおり、ユダヤ民族に「マナ」と呼ばれるパンを与えたのは、当時彼らの指導者だったモーセという人物ではなく、天の父なる神のとりはからいによったのでした。その点を正した上でキリストは、「天から下って来て、世にいのちを与える」「天からのまことのパン」を、キリストの父にあたる神が与えてくださるのだ、と言っています。このただならぬパンの話に、人々が沸き立ちました。
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:34 そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
人々が「そのパンをいつも私たちにお与えください」と言い出しました。そこでこれから、「世にいのちを与える」「天からのまことのパン」とは、一体なんなのか、キリストが明かします。
キリストがいのちのパン
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
さあ、衝撃の一言が出ました。「わたしがいのちのパンです」と言っています。すなわち、イエス・キリストご自身こそ、天の父なる神が私たち人類に与えた、「まことのパン」で、「天から下って来て、世にいのちを与える」「神のパン」だというのです。
ということは、前回キリストが言っていた、「永遠のいのちに至る食べ物」というのも、実は、イエス・キリストが自分のことを指して言っていた、比ゆだったのですね。そこで、これらの比ゆをまとめると、こういうことになります。
イエス・キリストは、「永遠のいのちに至る食べ物」で、天の父なる神が私たち人類に与えた「まことのパン」、言い換えれば、「天から下って来て、世にいのちを与える」「神のパン」だというわけです。その上で、こう付け加えます。
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:36 しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。
「あなたがたはわたしを見たのに信じません」と言っています。このとおり、これを聞いていた人々は、キリストが彼らのためにパンと魚を用意した奇跡を目撃し、それを食べて満腹したのに、イエス・キリストが天から下ってきた救い主だとは信じていなかったのですね。だから彼らは、へりくだるどころか、要求ばかりしてしていたのです。
一方でキリストは、天の父なる神が与えてくださる者はみな私のもとに来るので、その人を決して追い出したりはしないと言っています。言い換えれば、信じて従って来る者を、イエス・キリストが拒むことは決してしない、というわけです。この時点で、信じる人と信じない人との大きな開きが生まれますね。そしてこう続けます。
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:38 わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。
これは、キリストと父なる神との関係性を示す、大事な一言です。キリストが天から遣わされたのは、父なる神の意思を実行するためで、自分の思いを行うためではないと言っています。ということは、イエス・キリストの言葉や行動は、天の父なる神の意思と一致しているわけですね。ではその神の意思とはなんでしょう。それが、今日の最後の言葉です。
【ヨハネの福音書6:30~40】
6:39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
さあ、今日のハイライトとなる、天の父なる神の意思が明らかになりました。それは、イエス・キリストが、父なる神から託された人々を一人も失わず、今のこの世界が終わる時に、よみがえらせることだ、というのです。
より具体的には、イエス・キリストを救い主と信じる人々が、「永遠のいのち」を持ち、今のこの世界が終わった後も、「神の国」と呼ばれる新しい秩序の中で、永遠に生きられるように、その人々をよみがえらせること、これが神の意思だというわけです。すごくスケールの大きな話ですね。ゆえに、それを実現するために遣わされたのが、イエス・キリストです。これが今日の結論です。
キリストはなぜこの世に来た?
今日は、イエス・キリストが一体何者で、何のためにこの世界に来たのかという、核心的なことが語られました。それによると、イエス・キリストは、ご自分をパンにたとえて、「天から下って来て、世にいのちを与える」「いのちのパン」だと打ち明けました。
そして、この世に来た目的は、天の父なる神の「みこころを行うため」で、具体的には、イエス・キリストを「信じる者がみな永遠のいのちを持ち」、その人を「終わりの日によみがえらせる」ためだというわけです。このことをヨハネは、短く、こうまとめています。
【ヨハネの福音書3:16】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
このように、イエス・キリストを救い主と信じる者が、滅ぶことなく「永遠のいのち」を持つことこそ、キリストがこの世に来た目的で、それが父なる神の意思にほかなりません。
そして事実、イエス・キリストはこの後、私たちが本当に「永遠のいのち」を持てるよう、私たちの罪の代わりに十字架に架かって裁かれ、死んで葬られ、三日目によみがえるという、父なる神が計画した使命を全うされるのです。それが実は、私たちが「永遠のいのち」を持つために、キリストが代わりに裂かれたパンとなる、「いのちのパン」としての使命だったのでした。
なので、ユダヤ民族がマナを食べて命をつなぎ、大群衆がキリストの裂いたパンを食べて満腹したように、十字架で裂かれた「いのちのパン」であるキリストを私たちが食べる、すなわち、イエス・キリストを救い主だと信じることこそ、私たちが「永遠のいのち」を持つ秘訣にほかなりません。
そこであなたも、「わたしがいのちのパンです」と語る、このイエス・キリストこそ私の救い主だと信じて、「永遠のいのち」を頂こうではありませんか。もう一度、それを示した先程の言葉を読んで終わります。
【ヨハネの福音書3:16】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(2025.10.30)
