【キリストの足跡をたどる】093_聖書の神は私たちの神?

093_聖書の神は私たちの神?

【聖書】マルコの福音書7:31~37 マタイの福音書15:29~31 
●耳と口が不自由な人の癒やし 
●多くの異邦人の癒やし 
●イスラエルの神をあがめた 
●わたしこそ神であることを知れ 

【マルコの福音書7:31~37】
7:31 イエスは再びツロの地方を出て、シドンを通り、デカポリス地方を通り抜けて、ガリラヤ湖に来られた。
7:32 人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。
7:33 そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。
7:34 そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。
7:35 すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。
7:36 イエスは、このことをだれにも言ってはならないと人々に命じられた。しかし、彼らは口止めされればされるほど、かえってますます言い広めた。
7:37 人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。耳の聞こえない人たちを聞こえるようにし、口のきけない人たちを話せるようにされた。」

【マタイの福音書15:29~31】
15:29 それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして山に登り、そこに座っておられた。
15:30 すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。
15:31 群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。

前回、聖書やイエス・キリストが、ユダヤ人と、それ以外の異邦人とを、明確に区別していることを確認しました。なぜなら、神がこの世界に救い主を送り出し、全人類を祝福する基とするために、一から起こした民族が、ユダヤ人だったからでした。なので、神の祝福も先ずユダヤ人に届けられ、それから私たち異邦人に及ぶことも垣間見ました。

というわけで、イエス・キリストもユダヤ人として生まれ、先ずはユダヤ人のもとに遣わされましたが、残念ながら彼らは、後にユダヤ教の経典となる「言い伝え」ばかり重んじて、イエス・キリストを受け入れようとはしませんでした。

そこでキリストと弟子たちは、一旦地元を離れて、異邦人の住む周辺地域に退きました。すると前回、異邦人の女性がキリストにすがりついて来たので、キリストはその信仰に応えて、願いをかなえてあげたのでした。今日はその続きです。

耳と口が不自由な人の癒やし

【マルコの福音書7:31~37】
7:31 イエスは再びツロの地方を出て、シドンを通り、デカポリス地方を通り抜けて、ガリラヤ湖に来られた。人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。

キリストと弟子たちは、今のレバノンにあたるツロやシドンから東に向かい、10の都市と呼ばれたデカポリス地方を抜けてガリラヤ湖にたどり着きました。ただしここは、ユダヤ人たちが住むガリラヤ湖の西側ではなく、異邦人たちが住む東側の地域です。

すると人々が、「耳が聞こえず口のきけない人」を連れてきて、「彼の上に手を置いてください」と願ったのですね。彼らは、この人を治して欲しいと思ってやって来たわけです。さあ、どうなるのでしょう。

【マルコの福音書7:31~37】
7:33 そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。

キリストは、その人を群衆の中から連れ出して、二人だけになりました。そして両耳と舌に触れた後、天を見上げて深く息をして、「開け」と言われたのですね。

【マルコの福音書7:31~37】
7:35 すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。イエスは、このことをだれにも言ってはならないと人々に命じられた。しかし、彼らは口止めされればされるほど、かえってますます言い広めた。人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。耳の聞こえない人たちを聞こえるようにし、口のきけない人たちを話せるようにされた。」

さあ、キリストが「開け」と言ったら、耳が開き、音を聞き分けられるようになりました。そして「舌のもつれが解け」たとあるので、言葉を聞いて、正しく発音出来るようになったのですね。

すると群衆は、彼の身体がすっかり治ったことに驚いて、「この方のなさったことは、みなすばらしい。耳の聞こえない人たちを聞こえるようにし、口のきけない人たちを話せるようにされた」と褒め称えました。そして、「口止めされればされるほど、かえってますます言い広めた」のですね。

ちなみにこのエピソードは、マルコという人が書いたものですが、同じく福音書を書いたマタイもこの場面を書き残しています。そこでこれから、マタイの記録もご紹介します。

多くの異邦人の癒やし

【マタイの福音書15:29~31】
15:29 それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして山に登り、そこに座っておられた。すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。

マルコは身体の不自由な一人の人にフォーカスしましたが、マタイはより多くの人が癒やされたことを伝えていますね。ここで留意しておきたいのは、この癒しが起こったのが、ガリラヤ湖の東側だということです。このあたり、ユダヤ人もいないことはありませんが、住んでいる人々の多くは、ユダヤ人から見れば異邦人です。

ということは、ここに集まった人たちは、全員とは言わなくとも、その多くが異邦人だったと思われます。言い換えれば、これまでキリストが、多くのユダヤ人たちに施してきた癒やしの奇跡が、今回は異邦人たちの住む地域にまで及んだ、というわけです。

そして後でわかるのですが、そこに集まった人々は、最終的に男性だけで4000人もいたようです。であれば、女性や子どもも合わせると、その倍はいたかもしれません。これほど多くの人たちが集まったということは、異邦人の地でも、それだけキリストの噂が広まっていたわけですね。

その要因の一つとして考えられるのは、以前キリストがこのあたりで、レギオンと呼ばれる汚れた霊につかれて、手に負えなくなった人を癒やしたことがありました。その時、癒やされたその人が、キリストに「お供をしたい」と申し出たところ、キリストが彼に、

【マルコの福音書5:19】
「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」

と言って去らせたことがありました。その後について聖書は、

【マルコの福音書5:20】
それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

と書いています。なので、キリストは既にこのあたりでも評判だったのかもしれません。加えて今回の癒やしを見た人たちが、「口止めされればされるほど、かえってますます言い広めた」ので、どんどん人が押し寄せたのでした。その結果群衆が「イスラエルの神をあがめた」のですね。これが、今日の話の顛末です。

イスラエルの神をあがめた

さあ、そこで注目したいのは、「口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるように」なったのを見た群衆が、こぞって「イスラエルの神をあがめた」という事実です。

実は聖書では、神が私たちと共にいる「神の国」が実現する時には、こうしたことが現実に起こると予告されていたのでした。旧約聖書のイザヤ書という書物に、こうありました。

【旧約聖書・イザヤ書35:5~6】
そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。

この言葉は、名実共に「天の御国」とも呼ばれる「神の国」が実現する時に起こることとして、ユダヤ人に予告されていた約束です。なので、キリストは先ずユダヤ人たちに、

【マタイの福音書4:17】
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」

と促した上で、イエス・キリストが神であり、神が共にいる状態である「神の国」が実現する証拠として、この言葉どおり、多くのユダヤ人たちを癒やしてきたのでした。

ところが今回は、こうした癒やしが、異邦人たちの住む地でもたらされました。ということは、この奇跡は、聖書の言葉や祝福が、ユダヤ人だけでなく、私たち異邦人にも及ぶことを示していると言えますね。

すなわち、聖書はユダヤ人と異邦人を明確に区別しつつも、神がユダヤ人に与える祝福を、異邦人である私たちにも与えてくださること、そしてそれは、先ずユダヤ人に届けられ、それから私たち異邦人にも届けられることを、この場面でも教えてくれているわけです。

その裏付けとして、今日のエピソードの最後に、彼らが「イスラエルの神をあがめた」とあります。この表現、もしそこにいた人たちがユダヤ人なら、わざわざ「イスラエルの神を」と断る理由はありません。一方、異邦人なら本来、彼らが信じる異教の神々をあがめて然るべきです。ところが、キリストの働きを目の当たりにした彼らは、彼らの神々ではなく、生きて働かれた「イスラエルの神」すなわち、「主」とよばれる聖書の神をあがめたのでした。

実はこの時のように、私たち異邦人がユダヤ人たちと共に、同じ聖書の神を信じる時が来ることも、聖書ははっきりと予告していました。それを神が宣言した聖書の言葉を、訳のわかりやすい口語訳でご紹介します。こうあります。

わたしこそ神であることを知れ

【旧約聖書・詩篇46:10】※口語訳
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがあめられ、
全地にあがめられる」

ここで出て来る「もろもろの国民」とは、異邦人もユダヤ人も含む全人類、そして「わたしこそ神であることを知れ」と宣言している方こそ、聖書の神にほかなりません。この神が現実に生きて働かれた事実を、人々の証言を交えて示したのが、今日の聖書箇所です。

そしてこの後、ここに集まっていた多くの異邦人たちの前で、更にすごい奇跡が起こるのですが、それは次回、紐解いてまいります。そこで今日、聖書の神が私たち異邦人の上にも祝福をもたらされたことを心に留めて、はばかることなく、この神に信頼しようではありませんか。もう一度、先程ご紹介した、神の宣言を読んで終わりにします。

【旧約聖書・詩篇46:10】※口語訳
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがあめられ、
全地にあがめられる」

(2026.1.30)

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