068_天の御国になぜ毒麦が?
【マタイの福音書13:24~30】
13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は次のようにたとえられます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
13:25 ところが人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて立ち去った。
13:26 麦が芽を出し実ったとき、毒麦も現れた。
13:27 それで、しもべたちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い麦を蒔かれたのではなかったでしょうか。どうして毒麦が生えたのでしょう。』
13:28 主人は言った。『敵がしたことだ。』すると、しもべたちは言った。『それでは、私たちが行って毒麦を抜き集めましょうか。』
13:29 しかし、主人は言った。『いや。毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。
13:30 だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。』」
【マタイの福音書13:36~43】
13:36 それから、イエスは群衆を解散させて家に入られた。すると弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
13:37 イエスは答えられた。「良い種を蒔く人は人の子です。
13:38 畑は世界で、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らです。
13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。
13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのようになります。
13:41 人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国から取り集めて、
13:42 火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
13:43 そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。
前回から、キリストが語ったたとえを紐解いています。これら一連のたとえは、実は全て、現代の私たちに関すること、すなわち、2000年前にキリストが天に上げられてから今に至るまで、キリストの福音が世界中に宣べ伝えられていく様を、預言的に語ったものです。それをキリストは、「天の御国の奥義」と呼んで、当時の人々にとっては未来のことを、たとえを使って明かしたのでした。この点を踏まえ、今日は「毒麦のたとえ」と呼ばれるたとえを紐解きます。
毒麦のたとえ
【マタイの福音書13:24~30】
13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は次のようにたとえられます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
この話の前に、キリストは「種蒔きのたとえ」と呼ばれる話を通して、種が落ちた土壌によって、蒔いた結果が良かったり悪かったりすることを教えていました。それに対して、今回は「自分の畑に良い種を蒔いた」とあるので、今度は良い結果が期待できそうですね。
【マタイの福音書13:24~30】
13:25 ところが人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて立ち去った。麦が芽を出し実ったとき、毒麦も現れた。
まあ酷いことをする輩がいますね。ここではじめて、蒔かれた種が麦だとわかりますが、せっかく良い種を蒔いたのに、敵が来てそこに毒麦を蒔いていったというのです。なので、麦と共に毒麦も芽を出したんですね。さあ、畑の持ち主はどうしたんでしょう。
【マタイの福音書13:24~30】
13:27 それで、しもべたちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い麦を蒔かれたのではなかったでしょうか。どうして毒麦が生えたのでしょう。』主人は言った。『敵がしたことだ。』すると、しもべたちは言った。『それでは、私たちが行って毒麦を抜き集めましょうか。』しかし、主人は言った。『いや。毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。』」
畑の主人は、今毒麦を抜き取れば、良い麦まで抜くかもしれないので、そのままにしようというんですね。そうすると、麦も毒麦も共に育つことになりますが、刈り入れの時には見分けるのは簡単です。そこで、収穫の際に「まず毒麦を集めて焼くために束にし」、それから良い麦は倉に入れようというわけです。これが「毒麦のたとえ」の一部始終です。
さあ、これを聞いていた群集はどう思ったんでしょう。恐らく、このたとえに込められた真意までは、誰も悟ることは出来なかったのではないでしょうか。実は、キリストを救い主と信じる弟子たちもわかりませんでした。そこで、弟子たちが解き明かしを求めます。
毒麦のたとえの解き明かし
【マタイの福音書13:36~43】
13:36 それから、イエスは群衆を解散させて家に入られた。すると弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスは答えられた。「良い種を蒔く人は人の子です。畑は世界で、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。
簡単なたとえながら、中身はかなり深刻ですね。まず、「良い種を蒔く人は人の子です」と言っていますが、この「人の子」とはキリストのことです。そして「御国の子ら」とは、文脈から判断すれば、キリストを救い主と信じた人のことだとわかります。なので、「ある人が自分の畑に良い種を蒔いた」とは、「キリストがこの世界に、キリストを救い主と信じる多くの人々を起こした」ということを表わしているわけです。
ところが敵が来て、麦とよく似た毒麦を蒔きましたね。この「毒麦を蒔いた敵は悪魔」で「毒麦は悪い者の子ら」だと言っているので、この真意は、「悪魔がこの世界に、本物によく似た偽物をばら撒いた」というわけです。すなわち、この後世界中に広がっていくキリスト教世界では、キリストの教えとは異なる教えや、キリスト教によく似た偽物が出回り、それが本物と共に成長する、というのです。
そういわれると、確かにこの世界には、聖書のほかに余計な書物を正典に加えてみたり、聖書を都合よく歪曲する人たち、更には、キリスト教を名乗りながら、キリスト以外の人物を神のように崇める新興宗教の類が、掃いて捨てるほどあるのが現実です。
このような、キリスト教から見れば異端と呼ばれる教えや団体は、素人目には、正しいか間違っているか、見分けるのがかなり難しいのが現実です。そんな毒麦が共に成長し、やがてこの世が終わりを迎えるときに、刈り取られて焼かれるというわけです。その詳細が、続きです。
【マタイの福音書13:36~43】
13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのようになります。人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国から取り集めて、火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。
毒麦の刈り取りを通して、この世界が終わるときに起こる、厳かな神の裁きが描かれていますね。そのときには、キリストの福音とは異なる教えによって人をつまずかせる者や、不法を行う者たちが集められて、火の燃える炉の中に投げ込まれるというのです。
一方で、「正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます」とありますね。ということは、文脈に従えば、キリストを救い主と信じた人たちは、この裁きを免れ、天の父なる神が治める国で、太陽のように輝く存在になるというわけです。それが、今あるこの世の終わりに起こるので、信じる人たちが決して落胆しないよう、「耳のある者は聞きなさい」と促しているのです。これが、キリストが明かした「天の御国の奥義」の一端です。
なぜ「天の御国の奥義」なのか?
さあ、でも、毒麦が育つのが「天の御国の奥義」だと言われると、何か釈然としないものを感じないでしょうか。率直に言えば、「天の御国」とか「神の国」と言われたら、神が支配する、もっと理想的な世界を期待したいですよね。
ましてや、「神の国」の実現を期待していたユダヤ人にとっては、この後、国そのものが滅ぼされ、およそ1900年間にわたって自分の国がないという過酷な運命が待っているのです。そんな状態を、どうしてキリストは、「天の御国の奥義」と呼んだのでしょう。
そこで今一度、なぜここで、「天の御国の奥義」なるものが登場し、その内実が明かされたのか、簡単に触れておきたいと思います。
「天の御国の奥義」が明かされた理由
そもそも、キリストが救い主として公に活動を始めた頃は、神に背中を向けてきたユダヤ人たちに対して、
【マタイの福音書4:17】
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」
と言って、聖書の言葉に立ち返るよう促していました。その上でキリストは、様々な奇跡や権威ある言葉を通して、ご自分が旧約聖書で予告されていた、救い主であることを示していたのです。
なので、この時人々が素直に悔い改めて、聖書の言葉に立ち返っていれば、自ずとイエスこそ救い主だと悟って、今とは違う、別な歴史が展開していたかもしれません。すなわち、キリストが「天の御国が近づいた」と言っていたとおり、目に見える物理的なかたちで、神が直接統治する「天の御国」、言い換えれば、「神の国」が実現していても不思議はなかったというわけです。
ところが、当時の宗教指導者たちは、イエス・キリストの働きを、「悪霊どものかしらベルゼブルによることだ」と断定し、イエスは救い主ではないと、公に拒絶してしまったのです。実はこれが、ユダヤ人たちの運命を大きく変える引き金となりました。その結果が、彼らが期待していた「神の国」の棚上げ、すなわち延期です。このことについて、キリストは彼らに、こう宣告しています。
【マタイの福音書21:43】
ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。
このように、ユダヤ人たちが公にキリストを拒絶したことで、彼らの上に実現するはずだた「神の国」が棚上げとなり、「神の国の実を結ぶ」別な民、すなわち、ユダヤ人以外の異邦人たちの間に、キリストのもたらした福音が広がることになりました。それが現代に至るキリスト教世界です。なのでキリストは、今のこの世界のことを、当時は明かされていなかった「天の御国の奥義」と呼んで、人々に預言的に伝えたというわけです。
ただし、私たち異邦人が織り成すこの世界には、当然、様々な文化や異なる価値観が存在しますよね。なので、そこに根を下ろしていくキリスト教に、誤った教えや多くの異端が紛れ込むことを警告したのが、この「毒麦のたとえ」です。
事実、キリストが天に上げられて間もなく、後に異端として退けられる思想が大流行し、初期のキリスト教にとって大きな脅威となったことが、聖書に記録されています。こうあります。
【コロサイ人への手紙2:8】
あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは、人の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。
その一方、異なる思想や、誤った教えが跋扈することで、たとえば「三位一体」といった、聖書に基くキリスト教の教理が体系化され、何が正しい教えなのかが明確化し、人々の信仰が強められて来たことも事実です。こうした側面からも、毒麦を敢えて刈り取らず、畑の主人が「育つままにしておきなさい」と命じたのは、歴史を司る神の取り計らいと言えるのです。
そこで私たちは、誤った教えに惑わされないよう、ただ聖書のみを拠り所として、謙虚な気持ちでその言葉に耳を傾けようではありませんか。そんな私たちを励ます、キリストの言葉をもう一度読んで結びとします。実はこの言葉こそ、一度は延期された「天の御国」「神の国」が、今のこの世が終わるとき、名実共に実現するという、確たる予告にほかならないのです。
【マタイの福音書13:36~43】
13:43 そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。
(2025.1.15)