【キリストの足跡をたどる】074_ただ信じればいい?

074_ただ信じればいい?

【【聖書】マルコの福音書5:21~43 
●ヤイロの懇願 
●長血の女 
●ヤイロの娘 
●恐れずにただ信じる 

【マルコの福音書5:21~43】
5:21 イエスが再び舟で向こう岸に渡られると、大勢の群衆がみもとに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。
5:22 すると、会堂司の一人でヤイロという人が来て、イエスを見るとその足もとにひれ伏して、
5:23 こう懇願した。「私の小さい娘が死にかけています。娘が救われて生きられるように、どうかおいでになって、娘の上に手を置いてやってください。」
5:24 そこで、イエスはヤイロと一緒に行かれた。すると大勢の群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。
5:25 そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
5:26 彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
5:27 彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。
5:28 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。
5:29 すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。
5:30 イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」
5:31 すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
5:32 しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。
5:33 彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
5:34 イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

5:35 イエスがまだ話しておられるとき、会堂司の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。これ以上、先生を煩わすことがあるでしょうか。」
5:36 イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」
5:37 イエスは、ペテロとヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分と一緒に行くのをお許しにならなかった。
5:38 彼らは会堂司の家に着いた。イエスは、人々が取り乱して、大声で泣いたりわめいたりしているのを見て、
5:39 中に入って、彼らにこう言われた。「どうして取り乱したり、泣いたりしているのですか。その子は死んだのではありません。眠っているのです。」
5:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子どもの父と母と、ご自分の供の者たちだけを連れて、その子のいるところに入って行かれた。
5:41 そして、子どもの手を取って言われた。「タリタ、クム。」訳すと、「少女よ、あなたに言う。起きなさい」という意味である。
5:42 すると、少女はすぐに起き上がり、歩き始めた。彼女は十二歳であった。それを見るや、人々は口もきけないほどに驚いた。
5:43 イエスは、このことをだれにも知らせないようにと厳しくお命じになり、また、少女に食べ物を与えるように言われた。

前回は、イエス・キリストが異邦人の地で行った奇跡を紐解きました。今日はそこから、イスラエルのガリラヤ地方に戻ってきた場面です。

ヤイロの懇願

【マルコの福音書5:21~43】
5:21 イエスが再び舟で向こう岸に渡られると、大勢の群衆がみもとに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。すると、会堂司の一人でヤイロという人が来て、イエスを見るとその足もとにひれ伏して、こう懇願した。「私の小さい娘が死にかけています。娘が救われて生きられるように、どうかおいでになって、娘の上に手を置いてやってください。」

一行が、ユダヤ人たちの住む地元に戻ってくると、再び群衆に囲まれました。するとそこに、ヤイロという会堂司がやって来ました。会堂司とは、ユダヤ人たちが集まる、シナゴーグと呼ばれる集会所の管理者のことです。そして彼が、「私の娘が死にかけているので、救われて生きられるように、娘の上に手を置いてほしい」と頼んだのですね。この人は、イエス・キリストが娘に触れれば、きっと癒やされると思っていたわけです。

【マルコの福音書5:21~43】
5:24 そこで、イエスはヤイロと一緒に行かれた。すると大勢の群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。

キリストが移動をはじめると、群衆もついて来て、「イエスに押し迫った」とあります。するとそこで、思わぬことが起こります。

長血の女

【マルコの福音書5:21~43】
5:25 そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。

さあここで、一人の女性が登場しました。この人はずっと血が止まらず、医者にかかってお金を使い果たした挙句、症状がより悪化していたというのです。辛かったでしょうね。そんな時にキリストの噂を聞いて、「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思ったのですね。そこで群衆に紛れて近づき、キリストの衣に触れたというわけです。さあ、どうなったのでしょう。

【マルコの福音書5:21~34】
5:29 すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。

すごいことが起こりました。この女性が思ったとおり、衣に触れただけで、「すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされた」というのです。嬉しかったでしょうね。苦しみのどん底から、一瞬にして解放された瞬間です。ただ、この異変にキリストも気付いたようです。

【マルコの福音書5:21~43】
5:30 イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。

女性が衣に触れたら、キリストが、「自分のうちから力が出て行った」と気付いたのですね。でもこの時は、群衆でもみくちゃですから、誰が触ったかなんて、わかる状態ではありません。それでもキリストが見回していたので、女性がそれに反応します。

【マルコの福音書5:21~43】
5:33 彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。

実は、当時のユダヤ社会では、こうした疾患や女性に生理がある時は、ほかの人との接触が制限されていたのです。なので彼女は、そんな状態でキリストに触れた、ことの重大さを感じ、怖くなってしまったのですね。そこでひれ伏し、ありのままを吐露したわけです。さあ、どうなったでしょう。

【マルコの福音書5:21~43】
5:34 イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

キリストは彼女を叱るどころか、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と、信仰が癒しにつながったことを告げました。そして、「安心して行きなさい」と送り出したのです。これが、長血を患っていたこの女性に関する顛末です。

ヤイロの娘

一方で、気が気でないのは、はじめに出てきた、会堂司のヤイロです。彼は、死にかかった娘を救ってほしいと、キリストに同行を求めていましたね。ところが、この女性のために足止めを食ったわけです。すると、嫌な知らせが飛んできました。

【マルコの福音書5:21~43】
5:35 イエスがまだ話しておられるとき、会堂司の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。これ以上、先生を煩わすことがあるでしょうか。」

最悪の結果になりました。ヤイロの娘が亡くなったのですね。

【マルコの福音書5:21~43】
5:36 イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」イエスは、ペテロとヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分と一緒に行くのをお許しにならなかった。

キリストは、娘が亡くなったと聞いても、動じていませんね。そしてここからは、群衆が付いて来るのを留めて、弟子の中から3人だけを同行させます。

【マルコの福音書5:21~43】
5:38 彼らは会堂司の家に着いた。イエスは、人々が取り乱して、大声で泣いたりわめいたりしているのを見て、中に入って、彼らにこう言われた。「どうして取り乱したり、泣いたりしているのですか。その子は死んだのではありません。眠っているのです。」 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子どもの父と母と、ご自分の供の者たちだけを連れて、その子のいるところに入って行かれた。

ヤイロの家では、人々が取り乱していました。ただ、当時の習慣から、こうした人たちの多くは、葬儀の場で泣くことを商売にする、「泣き女」と呼ばれる人たちと思われます。だからこの人たちは、「娘は眠っているだけだ」とキリストが言うと、悲しみの場でも、平気で笑うことが出来たのです。そこでキリストは人々を追い出し、両親と弟子だけを連れて、娘のもとに行きました。

【マルコの福音書5:21~43】
5:41 そして、子どもの手を取って言われた。「タリタ、クム。」訳すと、「少女よ、あなたに言う。起きなさい」という意味である。すると、少女はすぐに起き上がり、歩き始めた。彼女は十二歳であった。それを見るや、人々は口もきけないほどに驚いた。イエスは、このことをだれにも知らせないようにと厳しくお命じになり、また、少女に食べ物を与えるように言われた。

さあ、再びすごいことが起こりました。キリストが娘に「起きなさい」と言ったら、本当に起きて歩き始めたのですね。これを見た両親らは、「口もきけないほどに驚いた」ようですが、そんな彼らに、「このことをだれにも知らせないように」と命じたのですね。人々に「よみがえった」とは知らせるな、というのです。なぜでしょう。

それは先ず、この頃のキリストは、人々が自分について誤解しないよう、信じる人の前でしか奇跡を行わないようにしていたのが一因です。すなわち、イエス・キリストはあくまでも、信じる者を罪の滅びから救うためにこの世に来たのであって、単に世間の歓心を買うために人を癒やしているのではありません。なのでこの時も、群衆をその場に残して、両親と弟子たち以外は完全にシャットアウトしていました。

加えてキリストは、「娘は死んだのではなく、眠っているだけだ」と言っていました。それを聞いた人々はキリストをあざ笑いましたが、娘は起き上がり、いずれ人々の前に姿をあらわすことになるわけです。ここに、この娘に対するキリストの配慮が窺えます。

すなわち、もし死人がよみがえったとなれば、ヤイロの娘は一躍有名人となりますが、聖書を素直に読めば、彼女はまだ12歳です。そこでキリストは、彼女が大衆から好奇の目で見られずに済むよう、「眠っていた娘が起きた」と伝わるに任せたのではないでしょうか。それに、霊の世界を司る神の目からは、彼女は確かに、眠っていたに過ぎないのです。これが、ヤイロとその娘に関する顛末です。では、今日のまとめです。

恐れずにただ信じる

今日のエピソードで目を引くのは、イエス・キリストを救い主と信じてやって来た、長血の女やヤイロの本気度です。

まず長血の女は、「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と信じてキリストに近づきました。ただしこの時は、群衆がキリストに押し迫っていたので、キリストに触れた人は多かったと思われますね。そんな中で、キリストのうちから「力が出て行った」のですから、彼女の動機が、群衆とは明らかに違っていたとわかります。

それはヤイロも同様で、彼もまた、キリストが娘に触れれば、娘は必ず救われると信じてやって来ました。ところが娘は、長血の女に時間を取られている間に死んでしまいました。でもキリストは、「恐れないで、ただ信じていなさい。」と声をかけました。それは、ヤイロに信仰があればこそ、逆境に陥っても信じ続けるよう促した、励ましの言葉にほかなりません。

こうした二人の信仰が、病の癒しや死者の蘇生に繋がりました。これ自体、素晴らしい奇跡です。でも、信仰によって与えられる最高の恵みは、罪の赦しと永遠の命です。従って、彼らは信仰によって、病の癒しや娘の蘇生のみならず、永遠の命という最高の恵みを得たのが、今日のエピソードの本質です。それを表わしたのが、

【マルコの福音書5:21~43】
5:34 「あなたの信仰があなたを救ったのです。」

というキリストの言葉です。そこで私たちも、彼らに倣い、私たちを救うためにこの世に来たイエス・キリストに、全幅の信頼を置こうではありませんか。それを後押しするこの言葉、

【マルコの福音書5:21~43】
5:36 「恐れないで、ただ信じていなさい。」

この励ましの一言を、拠り所とされるようおすすめします。

(2025.4.15)

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