099_誰が天の鍵を持つ?
【マタイの福音書16:18~19】
16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
前回は、イエス・キリストが弟子たちに、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と問うたシーンを紐解きました。すると、ペテロという弟子が、「あなたは生ける神の子キリストです」と答えて、イエス・キリストが大変喜ばれたのですね。
なぜなら、ペテロのこの答えは、イエスこそ神が人となって来られた「生ける神の子」、すなわち、イエスが神と同質であり、旧約聖書で来ると予告されていた、ヘブライ語で「メシア」と言われる「キリスト」「救い主」だと告白する、信仰告白に等しかったからでした。
そこでこの答えを受けて、これからキリストが大事なことを宣言します。今日はそれを紐解きます。
岩の上に教会を建てる
【マタイの福音書16:18~19】
16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
さあ、まずキリストが「あなたはペテロです」と言っていますね。実はこの人の本名はシモンと言うのですが、その彼を「ペテロ」、日本語なら「岩」を意味するニックネームで呼んだのでした。
ただこの「ペテロ」とは、新約聖書が書かれたギリシャ語に訳された言葉です。なので、実際にはキリストは、当時話されていたアラム語で「岩」を意味する、「ケファ」という言葉を使って、「あなたはケファです」と言っていたようです。その上で、「わたしはこの岩(ケファ)の上に、わたしの教会を建てます」と、初めて「教会」という言葉を口にしたのでした。
この「教会」という言葉は、簡単に言えば「信じる人々の集まり」を意味します。でも、当時はまだキリスト教はありませんから、建物としての「教会」はどこにもありません。あったのは、ユダヤ教徒が集まる、シナゴーグと呼ばれる「会堂」でした。
そこで、ユダヤ教の教師たちが教える「会堂」とは異なる、イエス・キリストによる「教会」を「この岩(ケファ)の上に」建てると初めて公言したのでした。これが、キリスト教で言う「教会」のはじまりです。
では、「この岩の上に」教会を建てるとキリストが言っている、「この岩」とは何なのでしょう。それについて、キリスト教のうちのカトリックでは、「この岩」は当然「ペテロ」を指すと捉えます。そして「ペテロ」が、イタリアのローマで殉教したことから、彼を初代のローマ教皇と位置付けたのですね。以来、その後継者が教皇に選ばれて、カトリック教会の最高指導者となっているわけです。
確かに、「ペテロ」や「岩」をアラム語に直せば、「あなたはケファです。わたしはこのケファの上に、わたしの教会を建てます」となるので、「岩」を「ペテロ」と捉えるのはごく自然なことですね。
ただし、キリスト教のうちのプロテスタントでは、「この岩」を「ペテロ」と捉えるよりは、「ペテロ」が、「あなたは生ける神の子キリストです」とイエスに告白した、信仰の中身を指していると捉えます。従ってプロテスタントでは、「ペテロ」に「使徒」としての権威は認めても、あとに続く歴代のローマ教皇には、特別な権威は認めておりません。
なので、「この岩」の本質が、「ペテロ」の告白した信仰だと捉えれば、イエスが建てる「教会」は、「イエスこそ生ける神の子キリスト(救い主)です」という信仰の上に建つ人々の集まりだ、というわけです。
よみの門に打ち勝つ教会
そしてキリストが、「よみの門もそれに打ち勝つことはできません」と続けていますね。ここで出てくる「よみ」とは、死んだ後に、死者が集められる場所のことです。従って、「死者を迎える門も、この教会には打ち勝つことができない」と言っているわけです。
ということは、「イエスこそ生ける神の子キリスト(救い主)です」と告白する「教会」は、この「岩」のような信仰の上に建つゆえに、「死」にも打ち勝つ、永遠の命に与る人々の集まりだ、というわけです。これは凄いことですね。
実はその根拠こそ、この後にイエス・キリストが、私たちの罪を贖うために、私たちの代わりに十字架に架かって死んで葬られ、三日目によみがえられることにほかなりません。そしてこのキリストのよみがえりが、「よみの門」に打ち勝つことを示す最大の証拠となるのです。
誰が天の御国の鍵を持つ?
【マタイの福音書16:18~19】
16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
まずキリストが、「わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます」と言っていますね。この部分、カトリックでは、キリストが「ペテロ」の上に「教会を建て」て、「ペテロ」に「天の御国の鍵を与え」たのだから、当然、「ペテロ」とそのあとに続くローマ教皇が、その「鍵」を持っていると捉えます。
そして次に、「あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます」と言っていますね。ここで言う、「つなぐ」とか「解く」とは、ユダヤ教の教師たちが使っていた表現で、「つなぐ」は「禁止する」、「解く」は「許可する」ことを意味します。
そこでカトリックでは、「ペテロ」とそれに続くローマ教皇がこの世で禁じた者は「天の御国」に入ることを禁じられ、教皇がこの世で許可した者は、「天の御国」に入ることが許されると捉えるわけです。
一方、プロテスタントは、教派や教団にもよりますが、「天の御国の鍵」が「ペテロ」に与えられたということは、「イエスこそ生ける神の子キリストです」と告白する「教会」に与えられたに等しいと捉えるのが一般的です。なので、キリストを信じる一人一人が、「イエス・キリストを信じれば救われる」という「鍵」を持っているので、多くの人にそれを伝えて、「天の御国」の門戸を開けていこうとする動機につながっているのです。
ただし、これらどちらの解釈も、キリストが「ペテロ」に与えた「鍵」を、今も誰かが持ち続けていると捉えていますよね。本当にそうでしょうか。むしろ、聖書を素直に読む限り、キリストは世界で初めて「教会」をオープンするために、この特別な「鍵」を「ペテロ」だけに与えたのではないでしょうか。
実はその視座に立って聖書を読むと、その後の記録が、見事にそれを裏付けているとわかります。すなわち、キリストが天に上げられた後のことが書かれた「使徒の働き(使徒言行録)」を読むと、「ペテロ」が全人類に対して、「天の御国」に至る門戸を次々と開けていくシーンが出てくるのです。
具体的には、「使徒の働き(使徒言行録)」では、ユダヤ人と、それ以外の異邦人、そして、ユダヤ人と異邦人との間に生まれたサマリア人という、3つの人種が出て来ますが、そのいずれも、「ペテロ」が初めて「天の御国」に至る門戸を開けているのです。そしてそれを契機に「教会」が誕生し、キリストの福音が世界中に広がっていくのです。
例えば、まずユダヤ人については、使徒の働き2章で、キリストが天に上げられた後の「五旬節」と呼ばれる日に、人々の上に聖霊と呼ばれる神の力が降臨し、「ペテロ」が初めてキリストの贖いによる救いを宣べ伝えたことで、3000人がそれを信じて受け入れました。これが、「ペテロ」が「天の御国の鍵」を使って「地上で解いた」、すなわち、ユダヤ人に初めてキリストの福音を語って、「天の御国」の門を開いた瞬間です。
そしてこの日こそ、「イエスこそ生ける神の子キリストである」と信じる人々の集まり、「教会」がオープンした日となりました。なので、「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」という言葉は、まさにこの日に実現したのでした。そこでキリスト教では、今でもユダヤ歴で「五旬節(ペンテコステ)」と呼ばれる日を、「教会」が誕生した日としてお祝いしているのです。ちなみに今年、2026年は、5月24日がペンテコステです。
次に、ユダヤ人と異邦人との間に生まれた、サマリア人と呼ばれる人々については、使徒の働き8章で、「ペテロ」がヨハネとともに彼らの上に手を置いたら、先ほどと同じように、聖霊が降臨したと記録されています。これが、「ペテロ」が初めてサマリア人に、「天の御国」の門を開いた瞬間です。
そして最後に、使徒の働き10章で、「ペテロ」が異邦人たちに「天の御国」の門を開く瞬間が訪れます。実はそれまで、「ペテロ」をはじめとする使徒たちは、キリストはあくまでもユダヤ人を救うために来たのであって、異邦人まで救うわけではないと思っていました。ところが「ペテロ」は、神に導かれて異邦人にも救いが及ぶことを知り、
【使徒の働き10:36】
このイエス・キリストはすべての人の主です。
と、キリストがもたらした福音を、異邦人にも語り始めたのでした。すると、それを聞いた異邦人に聖霊が下り、彼らが皆信じて救われたのでした。これが、「ペテロ」が異邦人に「天の御国」の門を開いた瞬間です。
このとおり、「ペテロ」は実際に、ユダヤ人、サマリア人、そして異邦人と、全人類に対して、初めてキリストが与えた「鍵」を使って、「天の御国」に至る門戸を開いたのでした。それによって、世界中にキリストの福音が伝わり、今こうして私たちも、聖書のことばを紐解く恵みに与っているわけです。
従って、「天の御国の鍵」は確かに「ペテロ」に手渡され、イエス・キリストが十字架による死と埋葬、復活を経て天に上げられた後、彼はその「鍵」を使って、全人類に「天の御国」の門戸を開け放ったのでした。そしてそれによって、イエス・キリストを信じる人々の集まり、「教会」が誕生したのです。
なので今や、誰もが開いたままの門をくぐって、憚ることなく、「天の御国」に入ることが許されているのです。そこで私たちも、「イエスこそ生ける神の子キリストです」と告白して、「天の御国」の門をくぐり、死にも打ち勝つ、永遠の命をいただこうではありませんか。
(2026.5.15)
