聖書ってなに?
キリスト教の唯一の正典は「聖書」です。
従って、「キリスト教」を名乗りながら、聖書以外の書物を正典として重んじている団体があるとしたら、それはキリスト教とは言えません。
では、そもそも聖書ってなんだ?と言うと、今から3500年ほど前の、紀元前1500年頃から紀元100年頃に及ぶ1600年程度にわたって、40人以上の、立場も職業も異なる人々によって書かれた書物66巻を纏めたもので、多くの歳月と人を介しているのに、全体が調和して内容に統一性がある不思議な書物、と言えます。そして、紀元前に書かれた「旧約聖書」と、紀元後に書かれた「新約聖書」からなっています。
救い主のことが書かれている
【旧約聖書】紀元前にヘブライ語とアラム語で書かれた39巻
・この世界の始まり
・人類の堕落
・救い主が到来する予告と歴史
【新約聖書】紀元後にギリシャ語で書かれた27巻
・救い主の到来とその生涯
・その後の展開と救いの全貌
・未来の予告とこの世界の終わり
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」
(新約聖書 ヨハネの福音書5:39)
従って、聖書の中心は、「救い主」である「イエス・キリスト」で、書かれたことが全て実現することを通して神の栄光があらわれるのが聖書のゴールと言えるのです。
神の預言が書かれている
今どき聖書など信じられるか、と思っている人も多いことでしょう。でも、実際に聖書が多くの人々に影響を与え、その人生を変革させてきたことに加え、神が告げられた数々の「預言」が実現してきた事実を知ると、その信憑性は揺るがしがたいことがわかります。
例えば、旧約聖書では、神が人類に救い主を遣わすと予告して以降、アブラハムという人が立てられ、その子孫から救い主が誕生することが啓示されます。そしてその血筋の一つがユダヤ民族となり、イスラエルという国家を形成していきますが、その過程で神は様々な人を介して彼らの将来を予告し、それが成就していきます。なので、ユダヤ民族とその周辺諸国の歴史も、救い主についても、結果として、旧約聖書に書かれた預言のとおりになったことがわかります。
新約聖書に至っては、救い主として来られたイエス・キリストご自身が、イスラエルが滅ぶことを予告し、実際に紀元70年に国は滅亡してしまいました。ただし、これで終わりではなく、イスラエルは引き続き、世界の表舞台で大事な役割を果たすことが聖書に預言されています。それには、イスラエルという国が存在していなければなりませんが、滅亡から約1900年を経た1948年、イスラエルは再び建国されました。したがって現在は、聖書の預言が再び動き出した時代と言えるのです。
こうしたことから、私たちが謙虚に聖書の言葉に耳を傾けるなら、聖書は他の本とは次元の異なる、権威ある神の言葉が書かれた書物であるとわかります。
従って、聖書は、神が書き手となる人々に啓示を与え、彼らの個性が活かされつつ、神の導きと監修によって出来上がった、神の言葉の集大成と言えます。なので、文体や書式がバラエティに富む一方、内容に一貫性があるのは、究極的な著者が神で、完全な神が不完全な人を用いた、神と人との二重著者によって出来上がったからで、多くの迫害に合いながら、ほぼ原典が回復されていることも、神の一貫した守りがあったからと言えるのです。
「預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」
(新約聖書 ペテロの手紙 第二 1:21)
ありのままが書かれている
最後に、聖書が信頼に足る最大の理由は、聖書は人間にとって必ずしも都合よく書かれた書物ではない、と言うことです。
はじめて聖書を読む人にとっては、聖書は、イメージしていたような書物とはかけ離れていると感じるかもしれません。例えば、旧約聖書は神話のような話や、難しい律法、ドロドロした人間模様、そして怒りを発する神の描写に戸惑う人もいるでしょう。また、新約聖書は、救い主の処女降誕や奇跡、復活といった、人間の常識では考えられないことまで大真面目に描かれます。こうした記述は、神などいないと言う前提に立つなら、たとえそれらが山のような目撃証言であったとしても、到底受け入れられない内容でしょう。
一方で、私たちが、もし本当に神がいるなら?という思いを持って、謙虚に聖書の言葉に耳を傾けるのなら、神でなければ不可能な救いの構造や、人知を超えた神の属性、限りない愛に満ちた神の性質を広く深く知ることができます。
即ち聖書は、神の主権によって、神の啓示をありのままに伝える贈り物であるゆえに、信頼に足るのです。
「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることが出来ます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」
(新約聖書 テモテへの手紙 第二 3:16)
2022.03.05
