005_イースターってなに?
「イースター」あるいは「復活祭」という言葉、ご存知でしょうか。日本ではあまり馴染みがありませんが、ヨーロッパなどでは、祝日となっている国も少なくありません。
この「イースター」とは、今から約2000年前に、イエス・キリストと呼ばれる人物が、十字架に架けられて死んで葬られた後、なんと三日目によみがえったことを記念する、キリスト教の記念日です。なので、イエス・キリストがこの世界に登場した、イスラエルのユダヤ暦に基づいて、毎年、日にちが変わります。ちなみに今年、2026年は、4月5日が「イースター」です。
でも、キリストが死んだ後によみがえった、復活したなんて、本当なんでしょうか。また、たとえ復活したとしても、それが私たちとなんの関係があるんでしょう。そこで今日は、そんなことをお祝いしているキリスト教とはなんなのか、そして、イエス・キリストの復活になんの意味があるのか、その辺を、それが書かれた聖書から探ってまいります。
キリスト教とはなにか?
ではまず、イエス・キリストをやたらとクローズアップする、キリスト教とは一体なんなのでしょう。それは、簡単に言えば、よく「主イエス・キリスト」と呼ばれているとおり、今から約2000年前に現れたイエスという人物が、聖書の中で「主」と呼ばれている神であり、「キリスト」すなわち、簡単に訳すと「救い主」だと信じる宗教のことです。
なので、イエス・キリストのことを「キリスト家のイエス」と勘違いしている人もいますが、キリストという言葉は「救い主」を意味するので、それは違います。そうではなくて、「主イエス・キリスト」と言うこと自体が、このイエスこそ、聖書で「主」と呼ばれている神が、人となってこの世に来られた「救い主」だと宣言する、信仰告白にほかなりません。そしてその根拠となるのが、キリストが来る前に書かれた「旧約聖書」と、キリストが来た後に書かれた「新約聖書」からなる「聖書」です。
旧約聖書に書かれた救い主の予告
ではこの「聖書」には、どんなことが書かれているんでしょう。簡単になぞるなら、まず「旧約聖書」は、神がこの世界と人とを「良いもの」として造り、人に命を与えて、自由な意思を持たせたら、「良いもの」ではない「悪いもの」、すなわち「罪」が入り、それが原因で、この世界に悩みや苦しみがもたらされたことを伝えています。
そして何よりも深刻なのは、人に罪が入ったことで、神が命を与えたにもかかわらず、人は誰もが、死なねばならなくなったことでした。なので、私たちすべての人に死が及ぶのは、すべての人に罪があるからなのです。
でも神は、ご自分が命を授けた私たち一人ひとりを愛しているので、人が死んで滅ぶことを、決して望んでいるのではありません。一方で、すべての人が持っている罪を、決して見逃すことは出来ません。そこで、神が私たち全人類に約束したのが、この世界に、私たちを罪による死の滅びから救い出す、神の子とも呼ばれる、「救い主」を送り出す、ということでした。
というわけで、神は「旧約聖書」を通して、この世界にどのように救い主を送り出すのか、時間と共に、徐々に明らかにしていくのです。そして、救い主がやってくる希望で終わっているのが、「旧約聖書」です。
新約聖書に書かれた救い主の到来
一方、「新約聖書」は、「旧約聖書」の予告どおりに、救い主が現れるところからはじまります。それが、クリスマスにお祝いされている、イエス・キリストの誕生です。そしてイエスは、様々な奇跡や権威ある言葉を通して、ご自分が救い主であることを示されたのでした。ところが、特に当時の宗教指導者たちは、自分たちの意のままにならないイエスを受け入れず、殺そうと画策したのでした。
でも実は、キリストが人々から拒絶され、苦しみにあうことも、「旧約聖書」の中で予告されていたことでした。例えば、「旧約聖書」にこんな言葉がありました。
【旧約聖書・イザヤ書53:3】
彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
これは、この世界に現れた救い主が、世界を統べ治めるどころか、拒絶されて苦しみに遭うのを予告した言葉の一つです。そして、この言葉どおりのことが、イエス・キリストに降りかかりました。更には、イエス・キリスト自身も、自分が辿る運命を弟子たちに予告していたのでした。聖書にこうあります。
【マタイの福音書16:21】
そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。
このように、キリストが苦しみの果てに殺された後、よみがえるということは、イエス・キリストが生きている間に、既に予告されていたことでした。そしてそのとおり、キリストは人々から苦しみを受け、十字架に架けられ、死んで葬られた後、三日目によみがえる日が来るのです。では、キリストが死んでから復活した場面を、少し長くなりますが、マタイという人が書き残した、聖書の記録からご紹介します。
イエス・キリストの復活の記録
【マタイの福音書28:1~10】
さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。
すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て、石をわきに転がし、その上に座ったからである。
その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。
その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。御使いは女たちに言った。
「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。いいですか、わたしは確かにあなたがたに伝えました。」
彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。
イエスは言われた。「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」
この記録は、イエス・キリストの復活を証言した複数の記録のうちの一つです。初めて聖書に触れる人にとっては、信じがたいかもしれませんが、聖書はこうした記録のオンパレードです。でも、これらを書いた人たちはいずれも、こうした記事を命がけで書き残したことを、心に留めようではありませんか。
そしてこの復活の後、イエス・キリストは40日にわたって、多くの人たちの前に現れ、人々の見ている前で、生きたまま天に上げられた、と聖書は伝えています。
なので今も、イエス・キリストは死んだのではなく、生きていて、天の父なる神の右の座で、私たちのためにとりなしておられるというのが、神の啓示によって書かれた、聖書の見解です。これが、イエス・キリストの復活の顛末で、こうした多くの証言を元に、復活の事実をお祝いしているのが、「復活祭」「イースター」です。
キリストの復活が意味するもの
では最後に、このイエス・キリストのよみがえり、復活は、私たちにとってどんな意味があるのでしょう。それは、イエス・キリストが死を乗り越えて今も生きている以上、この復活が、私たちもキリストと同じように死を乗り越え、永遠に生き続けることの保障となっている、ということです。それを裏付ける、キリストのこんな言葉があります。
【ヨハネの福音書11:25~26】
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたはこのことを信じますか。」
「わたしを信じる者は死んでも生きる」「信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません」と言っていますね。この言葉は、キリストが殺される前に語っていたものです。そしてそのとおり、キリストは、一度は死んでもよみがえり、再び死を味わうことなく、生きたまま天に上げられたというのです。それを受けて、聖書はこうも言っています。
【コリント人への手紙第一15:20~22】
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。
この言葉の言わんとしていることがおわかりでしょうか。この一文は、聖書の全体像を見事に表現しています。というのは、はじめ神は、人を永遠に生きる存在としてつくったにもかかわらず、最初の人といわれるアダムに罪が入ったことで、その後生まれたすべての人が、死ぬ運命に定められました。それが、「アダムにあってすべての人が死んでいる」という言葉の伝えたい内容です。言い換えれば、人には罪があるから死があるのです。
でも聖書は、神であるゆえにもともと罪がないキリストが、十字架にかかって死んだのは、私たち全人類の罪をすべて背負って、私たちの身代わりとなって裁かるためだったと明かしています。そしてキリストが死んだ後、三日目によみがえったことで、本来なら罪のゆえに死んで裁かれなければならない私たちも、「キリストにあってすべての人が生かされる」ようになる、というわけです。言い換えれば、イエス・キリストこそ、私たちの罪を贖ってくださった救い主だと信じるなら、私たちは死んで滅びる運命から解放されて、神と共に永遠に生きる命が与えられるのです。これが、キリストのもたらした「福音」「グッドニュース」です。それを聖書はこうまとめています。
【ヨハネの福音書3:16】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ここで出て来る「ひとり子」とか「御子」とは、キリストのことです。ということは、私たちがイエス・キリストを救い主と信じるなら、たとえ私たちが肉体的に老いて死んでも、決して滅びることなく、永遠の命を持つというのが聖書の約束です。そしてその根拠こそ、キリストのよみがえり、復活であり、それをお祝いしているのが、「復活祭」「イースター」です。この事実を重く受け止め、あなたも今日、イエス・キリストを救い主と信じ、罪による死の滅びから解放され、永遠の命に与ろうではありませんか。
(2026.3.30)
